№28. 子離れ卒業式


先日18歳になる長女の卒業式に行って来た。通っていたのはKLの外れにあるアメリカ式教育のインターナショナルスクールだ。そこはマレーシアで働く外国企業や大使館員の子供達が多く、日本でいう幼稚園から高校までの年代を対象として世界各国の子供達が国籍や肌の色の違いを超えて学ぶ文字通りインターナショナルな学校だ。名簿をみるとアメリカやイギリスをはじめ、日本、韓国、マレーシア、シンガポール、タイ、ドイツ、スペイン、フィンランド、オランダ、クロアチア...と様々な国籍を持った子供達で構成されている。授業は勿論英語で行われるが、あまり上手に英語が使えない者にはESL(English as a Second Language)といったレベルの授業で英語自体の教育もしてくれる。娘は日本の平凡な公立中学を卒業と同時に家族と一緒にマレーシアに来た。【高校の部】のない日本人学校への入学ははなから無理であったことと、一度下見に来たこのインターナショナルスクールが気に入っていたのでここを選んだ。下見に来た頃は英語は殆ど喋れなかったのだが入学までの約4ヶ月間(新学期は8月から)に地元の語学学校に通い友達なども出来たせいかなんとか間に合ったようだ。それからアッと言う間の3年間であったが、その期間に世界各国の同年代の友達や先生達からいろいろな事を学び、外国にも何度か足を運んだりしているうちに、入学式では不安そうな顔をしていたのが、卒業式を迎えた今はすっかりインターナショナルスクールの一員となってしまっていた。会場であるホテルのボールルームの隣の小部屋で一家で記念写真を撮りながらも英語で仲間達と談笑する姿を見ていると『よく育ってくれたな~。』と感慨もひとしおであった。


我が家は1999年からキザに言えば“日本での生活を捨てて”自分達の意志でマレーシアに来たのだが、それ以前同様に日本に残った場合と、マレーシアに来てからの生活のどちらが幸せだったかをよく家族で話あうことがある。来マ当初は慣れない異国での生活を現地に知り合いも居ない状態で始めた為に必要な場面でのコミュニケーションをとるにも不便を感じることが多く「日本だったら...」と思うことも多々あった。まして、海外生活に対する予備知識の少なかった妻や子供達にとってはかなり大変だったのではないかと思う。しかし、丸3年が過ぎ振り返ってみると『とても有益な時間を過ごすことが出来た。』と満足感をもって断言出来るのである。子供達は“受験戦争”などといった不毛な詰め込み競争とは無縁で、厳しいがノビノビと学ぶ米国スタイルの教育環境に身を置いていることに充実感を覚え、そのチャンスをくれた親に対して感謝の言葉を憚らないし、親は親で40年近く慣れ親しんだ“日本の常識”と“現地の常識”に戸惑いながらも多民族の異文化に溶け込みつつある自分達を誇らしげに思っているのである。時間的余裕から可能になった諸々の活動や、それに伴い増えた人的ネットワークもここでの生活を楽しくしている重要な要素だ。が、何と言っても一番は家族がひとつの事業として皆で始めた“日本脱出”という無謀な計画がある程度成功だったと思えることが嬉しいのだ。“成功”といっても別にお金持ちになったわけでも、偉くなったわけでもないが、子供達が大人になってしまう前に家族が一緒にひとつのことに夢中になれたのが親として最高の喜びなのだ。


一方、話は変わるが最近見た日本の雑誌で“児童虐待”などといった凄いことがけっこう日本では頻発しているのを知ってショックを受けた。『タバコの火を押し付けられて手がボロボロになっている子』、『度重なる暴行で痣だらけの子』、『里親にたいして認められようと体を壊すほど勉強する子』...等々、中には折檻で死に至らしめるケースもあるという。せっかく授かった自分の生き写しを憤懣の捌け口として殺してしまうなんて、どう考えても『幼く小さな自分達の子孫は保護するもの』という生き物としての基本機能を失ってしまったとしか思えない。今の日本には様々な問題が山積みだ。経済問題、政治家の倫理問題、防衛関連問題、教育改革の問題等々。しかし、それらは全て人が考え人が行動し成り立つもの、肝心の“人”が子供を虐待するような人種だったらどんなにGDPが上がろうが格付けが先進国並に戻ろうがけっして他国から尊敬されるような国にはなれないだろう。犯罪が若年層化(残虐化)し短絡的な動機で他人を殺めるような事件が多くなっているのは何が原因なのだろう。偏差値や社会的地位あるいは持っている資産の大小といった画一的な価値観でしか人間を判断しないことによる歪みなのか、高度に都市化され人間が歯車のように部品化されてしまったことへの警鐘なのか、日本はかなり危険な水域に入っていることは確かのようだ。『子供達をみればその国の将来がわかる。』この言葉を噛みしめながら東京の電車に乗ってみるとよい。本当の意味での子育てを放棄した親達の怠慢と無関心の代償が公共の場を占拠している。お年寄りがシルバーシートに先に座ったのに腹を立てて毒づく10代の茶髪娘。出入口で座り込み大声で喋りながら道を塞ぐ腰パン坊主達。中にはご丁寧にそういった事への無関心な大人達をいきなりなじり出す即キレ優等生までいる始末。全てではないが今後こういった輩が親の世代になって行くのである。日本売りを続けている外国人投資家や海外の格付け機関の目は意外と正鵠を得ているのかも知れない。インターの卒業式で満面の笑みで両親と抱き合って卒業を喜び合う外国人達を見ていて、ふと柄にもなく遠くの祖国を憂いてしまった。


卒業式の次の日から私は娘をひとりの大人として扱うことにした。自分の責任で自由に何でもやればよい。親の指図を鵜呑みにするほど18才は子供じゃない。助言や協力がほしければいつでも言ってくればよい。全ては自己責任のうえに成り立った【自由】だ。親になってから自分でも想像していた以上に世界が広がったことをこの子に感謝しなければいけないと思う。物事に対する感じ方、責任感、親同士としての友人達、すべて私の貴重な財産になっている。別に誰かに嫁にやったわけではないので感傷的になることもないのだが、卒業式のセレモニーに便乗して個人的に子離れ儀式としてちゃっかり利用させて頂いたというわけだ。


『「親が子供を育てる」のではなく「子供に親として育てられる」のよ』と長女が生まれる直前に母親が教えてくれた言葉が染みる今日この頃だ。


(№28. 子離れ卒業式 おわり)

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