№34. なんとなくサバイバル


最近ニュースで「昨夜、建設会社社長のAさん宅に強盗が押し入り寝ていたAさんを縛りあげ.....」などと聞くと、また外国人の犯行ではないかと咄嗟に思ってしまう。特に馳星周著「不夜城」シリーズや吾妻博勝著「新宿歌舞伎町マフィアの棲む街」などを読んでからは強引な金目当ての犯罪はすべてそう思ってしまうようになった。そして恐ろしいことにほとんどが「仲間内で話していた言葉から外国人と思われます.....」とニュースは続くのだ。国名こそここでは出さないが観光ビザで入国してオーバーステイしている者、偽造パスポートで密入国して来た者、等々。ほぼ間違いなく彼等の共通の目的は豊かな日本で金を稼ぐということだ。はなから犯罪行為で儲けようと入国した者も多いと思うが、来日当初は真面目に働いていた者も少なからず居る筈だ。が、外国人であるが故に低賃金で酷使されたり偏見の目で見られたりしているうちに金になるなら手段を選ばなくなって行った者達も多かろう。外国人犯罪の報道が多いことも充分驚きに値するが、それにもまして驚く事は「鍵の開いていた玄関から侵入し.....」とか「自宅にあった2,000万円と貴金属を奪い.....」などと言った常識では考えられない被害者達の無防備さだ。現金20万円でも殺人を請け負う者がいると言われている中で、2,000万円の現金と宝石を自宅に保管してたり、家に鍵が掛かってないなんて悪巧みする輩にとっては逆に“罠”ではないかと疑ってしまうくらいのオイシ過ぎる話ではないか。これらの被害者のメンタリティは特別だったとしても、大震災を近くで目の当たりにしてすら何ら対策をしない人の多いことを考えると皆大同小異ではないかと思ってしまう。それにしても、このウサギ小屋に狼を放したような日常を放置しておくと今後大変な数の犠牲者を出してしまうことになる。大切な国民の生命と財産を守る為にも自衛意識の向上を計らなければ“日本は儲かる”と更に酷い“不良外国人”が押しかけて来ないとも限らない。(言っておくが“不良外国人”という言葉が差別用語だとして抗議する在日外国人もいるようだが、別に私は排他的な国粋主義者でもなく善良な人達まで外国人だから不良だなんて言っているワケでは無いので悪しからず、だ。)誰だって犯罪の被害に遭いたくないし、出来れば自然災害だってパスしたい。「こうすれば万全です!」なんてセキュリティの専門家でもない私が断言出来ることではないが自分なりに気をつけていることくらいはある。それは簡単に言えば『人を見たら泥棒と思え』と『備えあれば憂いなし』の実践である。こう言った議論の究極が“安全保障問題”であり、危機感を持って自衛のことを考えれば自衛隊の活動規定等々非現実的で且つ不毛な議論も無くなるのではないかと言いたいこともあるが、今回はもっと身近な自衛についてのみとしておこう。


人を見たら泥棒と思え...明治の頃ある外国人が日本に来て夜中外から蚊帳を吊って寝ているのが見える家が多いことに驚いたといった話を読んだことがある。さすがに現代の都会の夜はそんなことはないだろうが、狂信的な某元宗教団体に狙われていた弁護士一家が殺害されたときも自宅の鍵がかけられていなかったと聞いたときは耳を疑ってしまった。これは日本が“安全と空気はタダ”と信じられていた頃の名残りであろうが、亡くなった夫婦と幼子のことを思うとやりきれない気持ちでいっぱいだ。少なくともここKLでは昼間でも家に鍵を掛けないでおくなんてことはまずありえない。周囲を塀で囲まれたコンドミニアムのゲートに何人もセキュリティガードが居て数人は常にシェパードを連れて巡回しているような環境であってもだ。玄関には通常鍵が3つ以上はあり、ドアを開けた時にも中への侵入を防ぐグリル(鉄格子のようなもの)をつけている家も多い。万一侵入者があった場合でも奥の部屋からはセキュリティガードへ直通の緊急ボタンが備えてあり最低限の通報は可能となっている。(大使館からの防犯マニュアルには、このような部屋で緊急時はガードマンが来るまでの時間が稼げるような造りと携帯電話などの通報手段の確保を薦めている。)しかし、いくらセキュリティレベルの高さを売り物にしているコンドミニアムであっても出入りする業者やメイドさん達、そしてガードマン達の心の中までは分からない。実際に生活レベルの違いから来る“出来心”(窃盗)だって多々あるようだ。とにかく自分の家族以外には気を許すべきではないのは半ば常識化していることなのだ。 日本人は海外からは“騙され易い人種”として見られていると言われている。「まさか、そこまではしないだろう」とか「話せばきっと分かりあえる」といった他人を安易に信用してしまうメンタリティが騙す側の人間にとっては好都合なのだ。マレーシアに投資を考えていると言って尋ねて来た人が居たが、何故か旅の途中で会った素性も知れないマレーシア人(本当は良い人かも知れないので余計なお世話なのだが)を信じて投資の相談など持ちかけている姿を見るにつけ、ちょっと複雑な気持ちになってしまう。 マレーシアではレストランの勘定も自分で内容を確認してから財布を出すし、家電製品を購入する場合などはカウンターで実際にコンセントを差し込んで不良品でないかのチェックする習慣すらある。これは勘定の計算や製品自体があまり信用出来ないという日本では決して心配しなくて良いことが理由なのだが、結果的に損をしない為に納得するまで疑ってかかるのだ。国の外交レベルでも“騙され易い日本人”は活躍している。以前、我が国の元総理大臣氏がロシアのエリィツィン大統領との北方四島一括返還に含みを持たせた“平和条約締結に向けて努力する”といった曖昧な約束により莫大な援助を与えたそうだ。当時の氏の“はしゃぎよう”からすると直接対話により心底理解し合えたという判断だったようだ。結果は現在に至るまで皆さんご存知の通りだ。後任のプーチン大統領には「あれは“努力した”ので約束は破ってない!」とかわされているようだ。とんだ空手形をつかまされたものだが、ここでも“人を見たら泥棒と思え”という格言が生かせず血税を掠め取られてしまったのは 残念至極だ。盲目的に人間を信じたいという気持ちは分からなくも無いが、ともあれ相手が自分の理解を超えている外国人ならば何でも一度は“眉に唾”する慎重さを持っていたほうが無難だ。私もこんな環境にいる為に良し悪しは別として他人と関わるときは“こいつは俺を騙す気じゃないだろうね?”と一度は思うようになってしまっている。まあ、騙されないことに越したことは無いし、最悪の場合は勝手に信じていた相手に騙されるより疑っていた者に裏切られた場合の方がダメージは少ないので良しとしよう。


備えあれば憂いなし...以前に『アジア暮らし秘話』の第一話でも書いたが、私がマレーシアに来た大きな理由の一つがここには地震が無いということだ。1993年の奥尻島の地震当時、犠牲者の中に自分の子供と同年代の子達が多く非常にショックを受けた。災害の際は最も危険な地域のひとつと言われている東京の環状七号線沿いの密集地に住んでいたこともあり、以来不謹慎な言い方だが対地震サバイバルに強烈に“凝った”時期があった。箪笥やピアノを金具と登山用ロープで固定し、区の指定防災関連ショップからヘルメットや飲料水用ポリタンクを買い込み水は週一で汲替えた。野営用のキャンプ用品を大量に集め、非常食や救急キットなどを整備して家族一人一人が背負える大きさのリュックに配分していった。このリュックには小学校低学年の子供が一人になっても飢えないで且つ他人から奪われない程度の食料(高カロリーのスニッカーズやパワーバー)や水と雨具、家族の連絡先、薬、タオル、簡単な着替え、スーパーのビニール袋(トイレにもなり、地面を掘って雨水を溜めることも出来、穴を沢山あければシャワーにもなる多目的防災グッズ!)、綿の靴下に包んだ小銭(振り回せばちょっとした武器にもなる)、自治体から配給が始まった時用のキャンプ用カップとスプーン、マッチと蝋燭、懐中電灯、トイレットペーパー、小さなハサミ(ナイフより安全で且つ便利)等々が入っていた。また、万一の際の予行演習として千代田区にある会社から杉並区の自宅まで徒歩で帰ってみたりもした。当然ビジネス用革靴は厚手のトレッキングシューズに履き替え、暴漢に襲われた時を想定してアーミーナイフとサバイバルナイフ持参という念の入れようだ。その後阪神淡路大地震という未曾有の大災害が発生したが、そのニュースを朝見たときは「ついに来るときが来たか!」と大きな衝撃を受けた。即日家族にエレベータ使用を禁止し、防災グッズの再点検、日々の買い物では非常食になる缶詰や乾麺などの在庫ローテーションに尚いっそう励むのであった。結局、幸いにしてそれら大金を投じた装備や備蓄は使われることは無かったが、リスク対策にはある程度の金と努力が必要だということを思い知った。金も使わず努力もしないで「イザとなったら国や自治体が助けてくれる」なんて思っている人が多いのは非常に危険な状態だと思う。いっそのこと国や自治体は「大地震が発生したって我々は一週間な~んも出来ませんからね。自分で考えてや!」と言い放ってしまったほうがかえって皆の危機意識も高くなり結果的に助かる人も多いのではないかと思っている。「死ぬときは死ぬんだからジタバタしてもしょうがない!」、「大地震なんて来るわけない!」なんて言っている人の為にも小規模な地震だったら(教訓の為に犠牲者が出ては困るが)我々の無防備さを再認識すべく年に一度くらいは発生してもよいのではと今でも真剣に考えている。


生活して行くうえでのサバイバルなんて若い頃は何も考えていなかったが、結婚し子供が生まれて守らなければいけないものが出来てからは色々なことに対して注意深く(悪く言えば臆病に)なってきた自分を感じている。“人を見たら泥棒と思え”や“備えあれば憂いなし”などは考え方としてはグローバルスタンダード(この言葉は好きではないが)であり取り立てて強調するようなことでもないのかも知れない。が、最悪とまでは行かないながらもある程度の事態は“予測”して“備え”をしておくことによって、万一の時に少なからず冷静でいられることが悪い結果を生まない為には大切なことではないかと思う。ある意味では臆病であることが生存適者の第一条件かも知れない。日々安全さが薄れて行く日本、皆さんも充分注意してくださいよ~。


ところで....今お宅の玄関鍵掛かっています?


(№34. なんとなくサバイバル おわり)

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