№45.【実録】医療トラブル体験談〔前編〕


これから書く医療トラブルの話は全部本当のことです。もちろん一方的な告発に ならぬよう事実を積み上げて書きます。医療機関名も医者の名前も堂々と実名で 書きます。(一部匿名あり) そのことにより問題が生じるかも知れませんが、もしそうなったら受 けて立ちましょう。要するにここに登場する大病院の経営者(CEO)と担当医の誠意 の無さ(詭弁を弄したり嘘をつく態度)に対して怒っているのです。親切な日本 の専門医の方にはインターネットを通して相談にのって頂きました。我社のコン サルタント経由で弁護士にも会いました。そして裁判に持ち込むことも考えまし た。が、マレーシアでは99%勝ち目が無いという事実を各方面から聞かされて止め にしました。カネと時間をつかったうえに負けるのは嫌だし、相手に勝訴のお墨 付きをくれてやるのも癪だからです。しかし、このまま泣き寝入りすることは悔 しいので皆さんに知って頂き、少しは溜飲をさげたいと思いここに載せることに しました。以下は妻が記録した詳細に私が加筆および要約したものです。前編は 手術から皮膚と腱がボロボロになるまでの経緯、その後は病院とのやりとりがメイ ンです。原文はかなりの量でしたが掲載するにあたって60%は割愛しました。日本 の方は『外国での医療とはこんなものか!』と知って頂き、KLにお住まいの方は 『あの病院って、そういう対応をするところなのね。』と現地での生活に参考に して頂ければ幸いです。


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【26 Oct 2004】
[5:40pm]
学校から私の携帯に電話が入った。長男がラグビーの練習試合中、左手中指を怪 我したという。10分後車で迎えに行ったら指を氷で冷やしていて、ラグビーの先 生には「多分関節がはずれただけだから2日もすれば治るよ」と言われたと言う。 中指の先が横の方に曲がっていた。
[6:15pm]
自宅近くの大病院Gleneaglsの救急窓口で受け付けをする。
[6:30pm]
レントゲンを撮ったら左手中指接骨の第1関節よりの左端が1つか2つ欠けらに なっていた。Dr.Chan Kim Yuen(Orthopaedic)から手術だと言われる。指 を正しい位置に戻すためにスクリューを入れて 骨を固定すると言われた。“手術しないといけないのかなぁ~”と思ったが、Kuala Lumpur では高名なGleneagles のドクターが言うのだから必要なのだろうと思った。
[7:30pm]
手術室に運ばれる時に息子はドクターに『僕はベーシストだからベースが弾けな くなったら困るんだ。』と言った。ドクターは『大丈夫、3週間したらリハビリに 入って、その後3週間もすればもとのように動かせるようになるから。』と言った 。そんなに大変な手術じゃないから心配要らないとも言った。手術の時間は約2時 間ということだった。(書類ではoperation for oblique fracture of middle phalanx of middle finger of left hand となっていた)
[10:00pm]
予定通り手術は終わり、中指には当て板が当てられて包帯が巻かれ、手術した方 の手は身体より上に就寝時も枕など重ねて身体より上に挙げているように言われ ていた。


【27 Oct 2004】
[12:00pm]
ドクターはレントゲンを指しスクリューを入れたことを説明した。スクリューは2 本だった。2本入れるとは聞いてなかったが、必要だったからそうなったんだろう と私は解釈した。それはいつ抜くのかと聞いたら、ドクターは1年後だと答えた 。でもわざわざまた同じような手術をして抜く事はない、そのままでいいでしょ うと言った。息子もその時はそのままで支障ないのならそれでいいと言った。(し かしながら、Hand & Microsurgeon のプロフェッショナルである別のドクターに 診て貰っている現在(2005/3)そのスクリュー2本はハンド用ではなく、大きすぎる 事が判り、皮膚の上から触ると痛むので、抜く予定である。)
[4:00pm]
(手術費用等の支払でゴタゴタした後)退院。


【30 Oct 2004】
[12:00pm]
手術後4日目。初めての診察日だった。ドクターはナースを紹介した。彼女は日 本人で名前はTaki。Kuala Lumpurで生まれたそうだ。日本語は余り喋れなかった 。ドクターがナースに命じて包帯を取ったが、ガーゼが傷にくっついて取りにく いのでガーゼごと指を何かの液に浸してから取った。傷はまだ痛々しく腫れてる ように感じた。切り口は稲妻のようにジグザグで、縫った糸が目立った。どうし てジグザグなんだろうと思ったが、それも必要があってそうカットしたんだろう と私は解釈した。息子は後で「見た? グジャグジャだったよね」と言った。私は 慰める気持ちで「傷はジグザグだけど、何年もすれば綺麗になるわよ」と言った 。ナースが傷を何かの液を浸した脱脂綿で拭いたが、すごく痛がった。ガーゼを 付けて当て板をして包帯をした。次の診察日と時間を尋ねると、ドクターはその ナースに何時に来られる?と聞いていた。早い方がいいのかな、と言っていた。で もナースは答えなかった。どういう事なのか測りかねていると、ドクターは、そ の日は彼女は休日だからと言った。私は彼女は休日なのに出てきてくれるのかと 思い、(学校は遅れて行かせることにして)早い時間でもいいと言った。それで予 約時間は10:00amということになった。この日薬が出された際に、まだ27日の退院 時に貰った薬がたくさんあるのに、多すぎると思った。ドクターは息子に説明し ていたようだが、息子は前に貰った分が飲み終わってから飲むものと解釈し、私 もそう思った。


【1 Nov 2004】
[10:00am]
手術後6日目。2回目の包帯交換に行った。20分くらい早めに入った。受付が『 えっ Dr.Chan ですか?』 と、少し慌てた様子で、『今日は何をするの?』と聞か れた。包帯交換と言うと、ああ、じゃあっといった感じで、ナースに取り次いだ 。前回のナースがしてくれると思っていたら、そのナースは違う患者に付いてい て、別のナースに呼ばれた。ナースは2人で、私が立っていると1人が椅子を用意 してくれたのでそれに座った。彼女達は包帯の交換をはじめる前に、私の前でカ ーテンを閉めた。それでなんとなく覗くにも覗けず、傷の様子は解らなかった。 ドクターはその間来なかった。後でわかったが、ドクターはその日お休みだった という。でもなぜ、前回のナースがいるのに彼女が包帯交換してくれなかったの か、よく解らなかった。次はいつ来ればいいのか聞いてなかったのでナースに尋 ねると、ナースが受付にその旨伝えた。受付がドクターに電話でコンタクトした が連絡がとれず、後で連絡が取れたら電話してくれると言った。私は学校がある ので放課後の時間にして欲しいと言った。


【2 Nov 2004】
受付から電話あり。あなたに前にも電話したけど繋がらなかったと言われる。ド クターは明日診察するとの事で、何時に来られるかと聞かれた。学校が終了後な ので4:00pmと答えると“遅い”と言われて結局3:30pmになった。


【3 Nov 2004】
[3:30pm]
手術後8日目。ドクターは前回彼がいなかった時、包帯交換をしてくれたナースを 紹介した。名前はMs.Ding、中国系マレーシア人のようだった。ナースは傷を脱脂 綿で拭いて当て板をして包帯を替えた。傷は、私が見た30日より腫れは引いてい るように見えた。息子はドクターに聞かれ、薬を2日飲まなかった、今日から飲み 始めたと言った。ドクターは『えっ?』という顔をしながらも(他意は無いと思 うが)何故かニンマリしていた。※後にドクターのレポートで息子は2日間薬を飲 み忘れていたと書かれるが、息子は前に貰った薬を飲み終えてから、次に貰った 薬を飲み始めたので、飲み忘れたのではない。ただ、後から貰った薬は今日から 飲み始めたので、2日飲まなかったと言ったのだった。因みにマレーシアでは薬を 処方するが“いつから、どのタイミングで、いくつ服用するか”の明確な指示が なくトラブルになるケースがあると、後に息子が通うインターナショナルスクー ルのナースが言っていた。


【4 Nov 2004】
受付から電話あり。次の診察予約は土曜日だったが、ドクターは手術が入ったの で金曜に替えて欲しいと言う。特に都合に問題はないのでOKして予約時間を3:30pm と言うと、それは遅すぎる3:00pmに来れないかと言われる。学校は3:00pmに終る のでそれはできないと答える。


【5 Nov 2004】
[3:30pm]
手術後10日目。ドクターは手術でジグザグにカットしてできた三角部分の薄い皮 を、死んだ皮だと言って剥がした。剥がしたあとは赤く腫れているように見えた 。そしてその上には包帯ではなく、半透明の厚さが2㎜ほどの一見ラバー状のもの( 名称:後にDUODERMと説明あり)を直接傷全体を覆うように指に1周巻いた。素人目 だが、こんなものでカバーしていいのかと一抹の不安があったが、ドクターは「 回復は幾分早い!」と言いリハビリを開始すると言った。リハビリのスタッフの(Mr.) Brandon を呼んで、誰々(名前を言った)のケースと同じだと説明していた。それで私は“ じゃあ、大丈夫なのかな?リハビリを始めるくらいだし..”と思った。ドクター にBrandonに付いて行くように言われ別室のリハビリ室に行った。指はラバー状の ものを巻いた上に褐色の伸び縮みする包帯をして、当て板ははずされていた。リ ハビリの際包帯はとった。リハビリ室でBrandonは傷のある指を、さっき皮を剥が した場所をラバー状のものの上から押さえて曲げていく。朝晩数回、毎日自分で 曲げてリハビリするように言われる。それから腕の部分に電極を貼って、手先の 神経にショックを与えて手を握らせる治療を15分間した。そしてBrandonは指の型 をとって、指を真っ直ぐに固定するスプリント(ギプスのようなものをこう呼んで いた)を作り、寝る時は付けているように言った。次の診察日にははじめにリハビ リ室に来て、その後ドクターの診察に行く事になった。その日、前回(10月30日) と同じアンチバイオの薬が出された。1回1錠1日2回で1週間分。前回の時は1回2 錠で1日2回だった。素人判断だが前の時より薬も減ってるのだから、やはり大丈 夫なんだと思った。


【6 Nov 2004】
[pm]
息子が自宅で“ラバー状のものの縁からすごく膿が出てるし血も出てる。”と言 いにきた。やっぱり膿んだんだ、あんなラバーみたいなもので密閉したからでは ないか、と私は思った。痛みもあって、傷が痛いんじゃなくて骨のあたりが痛い と言っていた。


【9 Nov 2004】
[3:30pm]
手術後14日目。前回の予約により、まずリハビリ室に行く。指はかなり曲げら れる状態になっていたが、傷が膿んでいるようなので、あまり曲げられないよう にブロックする為の、あて板の代わりの物を指の形に合わせて作った。その後、 腕の部分に電極を貼ってショックを与えるリハビリを約15分間した。ドクターの クリニックに行き待合で待っている時、ドクターが通りがけ息子に気づいて「ど う?」と声をかけた。息子は「膿がずいぶん出て血も出たけど、これでいいのかな あ?」と聞いたら、ドクターは“それはいいんだ”と言った。それを聞いて私は「 じゃあこれが普通なんだ」と思った。診察時、ドクターの後ろから治療の様子を 覗いたら、ドクターは抜糸していた。抜糸したあとは赤く窪んで見えたが、私は 抜糸するという事は傷はくっ付いているんだと思った。しかし、後で息子が言う 事には縫合部分はくっ付いておらず開いていて、膿を取ったらそこからスクリュ ーが見えていたという。ドクターは“ヒドイネ”と言っていたそうだ。前回、皮 を剥いだ三角部分は黄色く膨らんで(膿疱だと思った)いた。処置の間に2人のナー スがこそこそっと耳打ちした。一瞬何なんだろうと思った。ドクターがナースのMs.Ding に例のラバー状のものを指示した時、Ms.Dingが聞き返した。そして、それを手 にしたものの一瞬ためらうと、ドクターはMs.Dingの手からそれを取って自分で 息子の指に巻いた。傷はモイストしていないといけないからと説明しながら巻い ていたが、医者に言われても尚不安な息子は「そんなことして大丈夫なのか?」 とドクターに聞いた。すると『傷は自然に治るかもしれないが、ダメであれば別 の処置が必要になる。』という主旨の事を言ったという。息子はドクターに巻き 方がタイトだとも言った。ドクターは私に骨の状態はいいが傷の状態はserious だと説明した。良くない状態が骨まで行っているという意味の事を言っていた。 "So, I will see it again on Friday." と言った。ひどくなったらcutすることもあると言った。でも何をcutするのかよ く解らなかった。ドクターは"So,"と言って、3日後に見るというのだから、そん なに緊急事態ではないのだと思った。その日、後で息子が抜糸したら傷が開いて いてスクリューが見えたと言ったので、信じられなかったがとても不安になった。 主人に話したら、もし事実ならそれは大変な事で、ドクターがそのままにして置く とは思えないし、再度同じ処置(ラバー状のものを巻く)をするとは考えられない と言った。そして、実際に私は傷が開いているのを見たのか、ドクターが開いて いると言ったのかと主人に聞かれた。私は開いているようには思わなかったし、 ドクターは傷が開いているとも、スクリューが見えているとも言わなかった。結 局、ドクターが開いた傷をそのままにして、又ラバー状のものを被せて悪くなる ような事しないだろうというのが、そのときの夫婦の会話の結論だった。


【11 Nov 2004】
この日はディパァバリ(インド系の人の祭日)で休日だった。膿は出続けていたが 『でももう痛くもないんだよ、だからかえって心配なんだ。』と息子は何の根拠 もなく言った。13日からはハリラヤ(断食明け、イスラム系の人の正月)のお休 みが続くし、休みの間はどうしたらいいんだろうと不安は絶えなかった。


【12 Nov 2004】
[10:00am]
手術後17日目。今日の診察はとても不安で、今日こそはドクターにこのままで は不安だと言おうと思って待っていた。ドクターは約束の時間を30分遅れて10:30am くらいに来て、前の人がいるからもう少し待つように言った。(結局11:00まで待 たされた。)ナースがラバー状のものを剥がそうとすると、縫った部分は殆ど溶け てしまったようで、ラバー状のものと一緒に黄色く縮んだ皮と肉がめくれてスク リューと骨が見えていた。ナースは別の人で、最初に包帯交換してくれた日本人 のナースだった。ラバー状のものをめくった時は驚いて「Oh、ターミネーター!」 と言った。私が手で顔を覆いながら「OH, My God! えぇ、そんな! これって悪く なってるじゃない!」って言ったら頷いて日本語で「悪くなってます。」と言った。 ドクターは来ると遠くから傷を見て「これは酷い状態で、他のHospitalにかかって 早急に皮膚移植しなければならない」と言った。私はこのドクターがずっと診る と思っていたので面食らったが、この病院に移植のドクターはいないのかと聞い たら、いるけれどこの病院には毎週月曜に来るだけなので、今日はパンタイ(Pantai) 病院にいるから直ぐにコンタクトして、休みに入る前に手術までのプランを立て た方が良いと言った。Hand & Microsurgeon だという。ハンド専門のドクターが いるなんて知らなかった。もっと早く紹介して欲しかった。『すぐに行きますか ?』と聞かれた。そんなの当たり前だった。骨が見えてるのに..すぐに塞いで欲 しかった。でもその上の肉も皮膚もなくなってしまったから、移植でもなんでも すぐにして塞いで欲しかった。私は前回このラバー状のものは皮膚に悪いと思った って言ったら、ドクターは傷はモイストしなければならなかったから、それは必要 な処置だったと言った。息子が「これは感染してこうなったのか?」とドクター に聞いたら「皮膚の状態は良くないがInfectedではない」と明言した。そして又 ラバー状のものでカバーするようナースに指示したので、息子が「それを付けたら 悪くなったからもう付けたくない。」と言うと「じゃあいいよ付けなくても!でも それはモイストしないとイケナイんだから、ドライになったらイケナイんだから ね!」と強い口調で言った。医者に突き放されては困るので息子も仕方なく従った。
[13:00pm]
移動したパンタイ病院(Pantai Hospital)にて。死んだ皮を切り取ったら 骨とスクリューが丸見えで、これはまず2週間毎日クリーンしてからその後 で隣の薬指から軟組織を1x3cmくらい取って皮膚は腕か腰のあたりから取って移植 するとのことだった。息子がパンタイ病院のドクターに“前のドクターに感染じ ゃないと言われた”と言ったら、そのドクター(Dr. Roohi)は「私にはInfectedに 見える」と言った。


★★★[その後 要約]★★★
毎日0.9%Sodium液に指を暫くつけてから、黄色い死んだ組織を切り取って、腱の 上にクリームを塗ってSodium液を湿らせたガーゼをのせて包帯をしたが、2004年11 月14日に腱がだめになった。軟組織に関してはピンク色になってきて血も滲んで くるようになり生き生きとして盛り上がってきたが、溶けてなくなってしまった 部分を塞ぎようはなかった。2004年11月18日に皮膚と軟組織と腱を移植した。Dr.Chan Kim Yuen の手術後の治療に関する説明では、『どの段階においても感染はなく、膿も出て おらず、要因は手背側の血液供給がよくなかったことと思われる。』と、されて いる。2004年11月14日付けでGleneagls病院に対して正式に抗議文を送り、現在( この文を書いた時点2005/3/19)までの間に2度病院長(CEO)のMr.Stuart Pack( アメリカ人か?), 品質担当者, Dr.Chan Kim Yuen(彼は一度だけ)を含めた話し合 いの場を設定してもらい補償に関する対話を続けているが、事実と異なる報告書( 例:5日にリハビリに行かせる筈がない・・・等)や資料の出し渋り、実態把握をし ていないCEOの一方的な説明(医者の処置は常に正しく、今回のことは不幸な出来 事でしかない・・・)等々で一向に進展していない状況だ。指摘しているのは11/5 ~11/9,11/9~11/12の期間の傷に対する判断ミス(感染の疑いへの対応、専門医へ の照会タイミング)および怠慢(傷を清潔に保たなくてよいのか?)および抗議に対 する回答が曖昧且つ事実と異なること。現在では度重なるこちらからの矛盾点指 摘に対して“ダンマリ”を決め込んでいる、といった状況と私はとらえている。( その間にも通院費、手術代等現地では破格の出費を強いられた。)


つづく


(№45.【実録】医療トラブル体験談〔前編〕 おわり)

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