№57. オリジナル・パックツアー〔後編〕


・・・前編より


【2008年3月2日(日) 3日目】
やっと晴れた。良いときの6~7割くらいの太陽だが、今日はクアラ・ルンプール郊外のバトゥケイブと、ついでに、あきのしんご希望のマレーシア森林研究所(FRIM)にも行く予定にしていたので、とにかく晴れてよかった。 朝10:30にホテルにお迎えの予定だったが、日曜朝の道路は渋滞もなく、スイスイと30分も早く来てしまった。 今日行く予定のバトゥケイブは、比較的簡単に行ける場所にあるのだが、FRIMは初めて行くところなので、方向音痴の私のために前夜妻がネットから地図をプリントアウトしてくれた。 それを待ち時間で眺めてみるが、基点となる目印が書かれていないのでイマイチ行き方がわからない。 まあ、FRIMには、絶対行きたいという所でもなさそうだし、行き当たりバッタリの出たとこ勝負で行ってみよう。 そうこうしているちに、コダ長とあきのしんの2人が、朝からトラベラーズハイ気味にデジタルビデオを撮影しながら現れた。 せっかく撮影しているのだから、朝からカメラの前で気の利いたジョークでもカマそうと思ったが頭が回らない。 挨拶もそこそこに車に乗り込み、北のバトゥケイブを目指す。しまった、カーオーディオからは日本で買ってきた、カラオケ練習用のコブクロの「ALL SINGLES BEST」が鳴っている。 予定ではマイルスとかコルトレーンを自然にかけて、おじさんの深い趣味をさり気なく演出しようと思っていたが、疲れ気味でそこまで気がまわらなかった。 旅のお相手も3日目にきて、薄っすらと疲労が目立つ顔色のまま車を走らせるのであった。


さて、ここで、知らない方のために、[バトゥケイブ(Batu Caves)]とは何かを説明しておこう。 バトゥケイブは、KLの北13Kmにあるヒンドゥー教の聖地だ。 山腹の大鍾乳洞の中には聖者を祭る洞窟寺院がある。 272段の急勾配の階段を息を切らして昇る横には巨大な黄金の像(シバ神の息子「ムルガ神」というらしい)が穏やかな表情で建っている。 洞窟奥の大ホールは天井まで112mもあり、大きな穴から差し込む太陽光が、とても神秘的な印象を与える。 ヒンドゥー歴の10月(西暦1月下旬~2月上旬)に行われる[タイプーサム]というヒンドゥー教の祭りでは、体に針や串を刺して練り歩く男達の姿が有名だ。 因みにこの祭、あまりに過激なので、ご本家インドでは禁止されているらしい。 時代を遡って日本占領下、この洞窟は「黒風洞」と呼ばれていた。ここで秘密裡にマラヤ共産党上級幹部達の党中央委員会が開かれる情報を察知した日本軍が、千人規模の兵力で急襲し、 29名を射殺、15名を逮捕した。この情報を流したのが多重スパイであった共産党書記長自身だと言われていて、日本とも関わりの浅からぬ場所でもある。


KL中心地のホテルからゆっくりドライブして約30分、景色は都会のビル街から一転してゴツゴツとした岩山が多くなり、あらためてKL都市部は小さなエリアだと実感させられる。 進行方向右に点在する岩山に、巨大な金色の観音様のような像を見つけたら、そこが本日のメインディッシュのバトゥケイブだ。 ここまでくれば目的地は明確なのだが、道路標識が不明瞭なのか、私の見落としなのか、ハイウェイを下りるところを毎回間違えてしまうのは何故だろう。 今回もポイントを一度通り越してしまい、Uターンしたのだが、位置的にエントランス正面に入れず、またKL方向に戻り再Uターンという、ナントも締まりのないツアーガイドだ。 『ここはヒンドゥー教の聖地だから、こうして周回してから入り口に行くのが儀式なんだよ』と、生真面目なコダ長を誤魔化そうとしたが、 既に3日目で私の性格もバレているので、苦しい言い訳としか思われなかったようだ。 「周回の儀式」を無事済ませ、車をインド系コミュニティの集会場のような場所に無断で停めてから、ビデオをまわしながらメインゲートへと向かう。 あたりまえのことだが、ここはインド人が多い。体感インド人率は90%以上だ。 最近、仕事でイキナリ本場(インド)に出張させられた人の話などを聞く機会が多いが、『二度と行きたくない』、『毎日カレーで辟易した』など、インドは平均的日本人にとっては親しみ辛い国のようだ。 しかし、こういう場所で、マラソン選手が高地トレーニングするのと同様に、じょじょに五感を“インド慣れ”してから現地に派遣すれば、 カラフルなインド女性の衣装や、目に染みる香辛料混じりの空気も、少しは愛おしく感じるのかも知れない。


メインゲートを抜けると、右手の施設で結婚式が行われていた。 誰が主催者側で、どの人達が招待された客で、どいつが単なる通りがかりの奴なのか識別不能の混沌がなんともインド的だ。 結婚式と人々の発する騒音の中、洞窟へと続く272段の階段に向かう。この階段、かなりの急勾配なので手摺につかまりながらでないとちょっと怖いし、且つ危険だ。 今日の人出は大したことはないが、ヒンドゥー教のお祭りなどで、大勢の人が一斉にここを登った場合、万一誰かがバランスを崩して落ちて来たら 確実に大惨事になるだろう。そんな危険な階段で、あきのしんは野放しの猿や景色の写真を撮りまくる。コダ長は運動不足なのか足の筋肉が引き攣り気味のようだ。 私は以前来たときよりも、足が辛くないのがちょっと嬉しい。やはり、今年に入って長距離散歩と水泳を頻繁にやるようになった成果かもしれない。 階段を登りきると、眼前に巨大な鍾乳洞のドームが現れる。規模は正確にはわからないが、日本武道館より大きく、東京ドームよりは小さい、といったところだろうか。 『このドームでカラフルな照明を駆使して、ピンクフロイドのコンサートをやったら凄いだろうな~』などと魅入っていると、野放しの猿に荷物をひったくられるので要注意だ。 ここの猿は、観光地暮らしで人馴れしていることと、“猿は神様”という絶対的身分保証制度に安住しているためか、かなり高飛車だ。 観光客が手にしているお菓子やジュースをサラリと盗んで高いところへ逃げてしまう。逃げて隠れればまだ可愛いが、高いところから盗んだ相手を見下ろし、人間と同じ飲み方で 缶ジュースを飲んだりするので、かなり憎たらしい奴等だ(ただ、崖に群れている小猿軍団はけっこう可愛いけど)。因みにニューデリーなどでは猿が地下鉄で悪さをするが、神様を退治出来ないため、別の種類の強い猿を“雇い”警備にあたらせているらしい。 猿より私が密かに恐れているのが、大鍾乳洞の天井からぶら下がっている巨大な“つらら”状の鍾乳石だ。 おそらく、ここに来ている殆どの観光客が、“天井から鍾乳石が落ちてくる”とは思っては居ないだろう。 しかし、何百年、何千年かけて出来たのかは知らないが、私が真下に居るときに突然崩落する可能性がゼロだとは言い切れない。 地元のニュースで『昨日、KL北のバトゥケイブで数百年ぶりに鍾乳洞のつららが崩落して日本人一名が亡くなりました。 自然の驚異、不運でしたね、以上。次のニュースは・・・』なんて扱いで自分の人生の幕を閉じるのは、ちょっとやり切れないではないか。 ひょっとしたら、今周りに居るインド人は“聖者スブラマニアンを祭るこの聖地で一生を終えるのも何かの縁、これは運命なのだよ”的な思考なのかも知れない。 それにしても、万一、あの“つらら”が外国人観光客を直撃でもしたら、いったい誰の責任になるのだろうか。


洞窟内の寺院を眺め、周りを写真に収め、ついでに居合わせた観光客に我々の3ショットを撮ってもらい、帰りの階段で猿に脅かされながらもメイン洞窟の観光を終えた。 次はヒンドゥー神話の壁画や、神々の彫刻像が展示されている階段下の小洞窟にある有料のアートギャラリーに入ってみる。 有料といえば、マレーシアの観光地では、外国人とローカルレジデントは別料金であることが多い。ローカルが頻繁に来ることが出来るように安く設定しているのか、 それとも、ノーチョイスの外国人からは高くせしめる魂胆からか、趣旨は不明だが外国人料金が高いのだ。同じ内容のものを同じ条件で鑑賞するのに、国籍や居住地の違いで 別料金とすることは納得出来ないのだが、文句を言ったところではじまらないので、『3人分のチケットください!』と入り口で頼むと。『はい、こちらのレディー達は○リンギット、 アナタは□リンギット、合計△リンギットです』と、私の分はローカル価格だった。“どういう基準で私はローカルなの?”と、質問したかったが、値段が上がる恐れがあるので我慢した。 以前にも、シンガポールのイミグレでパスポートを出すと『あれゃ?チャイニーズじゃなかったの?』と笑われたり、パンコール島のレストランで日本語で喋っていると『オマエ、マレー人じゃないのか?』と確認されたりしたことがあるが、外国に長く暮らしていくうちに、何が?どう?変化してしまうのか、具体的に知りたいのだ。(スーツ着て、お茶の水界隈を歩いている私は、どうみても典型的な日本人だと思うのだが・・・)


アートギャラリー入口前に、何故かデパートの屋上にあるようなコインで動く偽ウルトラセブンがあったので、フェイク・セブンの背中に乗って記念撮影をする。 疲労でちょっとハイになってきた自分を自覚しながら、ヒンドゥー神話の壁画コーナー(小洞窟)に入る。極彩色の壁画は神々の起源や役割などが説かれているが、 絵の数が多く、且つ説明文も日本語はない。ひとつひとつをジックリ見るのは時間的に無理なので、ザッと見るしかないのが残念だ。 連れの2人は、ひとつひとつの絵に独自のふざけたストーリーをつけて遊んでいたが、後で調べてみると「プラーナ」という古譚に出てくる神々は、恋をしたり、争ったり、騙したり、と人間的な側面が多いとある。 もしかしたら、我々オリジナルの『この絵は、浮気がバレて、叱られた夫がうな垂れているところ・・・』式のストーリーも、あながち間違ってないのかも知れない。 神話の小洞窟の次は、神々の像が並んでいる洞窟に入る。ヒンドゥーは一般的に多神教として知られているが、ある本によると、 『唯一絶対の存在がそれぞれの神格の形をとって現れたと考えるのが妥当』とある。どうりで沢山の神が存在しているワケだ。 有名なビシュヌ神、シヴァ神をはじめ、象の顔のガネーシャ神、クリシュナ神等々、詳しく知らなくても、聞いたことのある名前の像が沢山飾られている。 前回、ここで逢った若いヒンドゥー教徒の男性に、『この神様の名前は○○○?』といった質問をしたら、色々詳しく説明してくれたが、押し付けがましくなくて、 生活の中に宗教が無理なく溶け込んでいる雰囲気に好感を持った記憶がある。『一神教が正しいか?多神教が理想か?』のような、双方相容れない不毛な戦いもあるが、 草木にも神が宿ると考える神道や、神様が嫉妬して呪いをかけちゃったりするヒンドゥーの多様性などは、 『これを信じないと不幸になる!』といった脅しをかけてくる団体よりは、私の中でのポイントは当然高い。 ただ、ヒンドゥーにはカーストという現代的でない差別意識も残っていて、仏教に改宗するインド系も多いときく。 マレーシアでも仏陀を運転席の前に置いて仕事をしているインド系タクシー運転手をたまに見るが、宗教に関する問題は、一筋縄ではいかないもんだ。


ヒンドゥー三昧はこのぐらいにして、次の目的地FRIMに向かうことにする。 メインゲートに戻ってくると、結婚式はまだ続いているようだった。 メデタイ席なので、ちょっと記念に覗いていこうと、図々しく屋外の会場に入っていったら、『お祝いなので、どうぞ!』と、 小さな箱に入ったケーキ(クッキー?)を貰ってしまった。更に図々しく『3人連れなんで、彼女達の分もください!』と、 追加を貰ったのは良いが、中を開けて見ると、油っぽい球状の不味そうな揚げ物が入っていた。暫くは持っていたが、結局 、結婚したインド人カップルには申し訳ないが“食べたら腹こわしそう”と、後で捨ててしまった。 無断駐車したコミュニティセンターに戻り、車をそっと出した。出口に行く間に駐車料金を請求されるかと思ったが、 それらしい人はまったく現れず、無銭駐車のままバトゥケイブを後にした。


とりあえず、車をマレーシア森林研究所(FRIM)があると思われる方角へ走らせるが、行けども行けどもそれらしき標識や看板は見当たらない。 ガソリンも残り少なくなってきたので、ガソリンスタンドに立ち寄ることにしたが、現金の持ち合わせが少ないことに気付く。 ガソリンスタンドのATMで引き出そうと思っているが、万一、立ち寄った店にATMが無い場合を想定し、2人に手持ちのリンギットを確認すると、なんと3人合わせても1,200円相当しかなかった。 因みにマレーシアのガソリン価格はこの時期1リッター約60円で日本の半分以下だった。そろそろ、ホントに給油しないとヤバイと思い始めた頃、山あいの道で見付けたスタンドに駆け込むがATMは無かった。仕方ないので900円分だけガソリンを入れ、所持金3人合わせて300円という身軽さでドライブを継続することにした。 車はFRIMへの標識を見つけられないまま、州境を越えてセランゴール州からパハン州へと入って行く。もう完全なロストである。 こうなったら、帰りのガソリンのことだけ意識して、行くところまで行ってみよう、と皆で開き直って運転をしていたら、なんとゲンティンハイランドに着いてしまった。 ここはマレーシアのラスベガス。海抜2,000mの森林に囲まれた山岳地帯に、突然出現するカジノ、ホテル、遊園地を含む大レジャー施設である。 KLから近いということもあり、週末に自家用車やバスで大勢の人が遊びに来るが、間違いなく言えることは、所持金1人頭100円の予算で遊びに来るところではない。 まあ、我々もマレーシアまで来てギャンブルや遊園地に行きたいワケではないので、とりあえず、ロープウェイ終着駅の真下に車を停めて、海抜2,000mの外気に触れるだけにした。 昼だというのに濃い霧につつまれ、ヒンヤリと肌寒い車外で眼下に広がる森林地帯を眺めながら。ビデオに向かい『ここがゲンティンハイランド、デ~ス』と収録して、滞在時間約5分の ゲンティンハイランド観光は終了した。車は、下り坂をニュートラルでガソリンを節約しつつ一路KLへ戻る。


KLに戻り、2人に両替をさせてからアンパン地区(Ampang)の名物ヨン・タオ・フーを昼飯として食べた。 これは、魚の練り物を中心として、豆腐、オクラ、ナス、ゴーヤ、油条、揚げ餃子等々、を薄味のスープに浸して食べる、一見日本のおでんのような中国系のローカルフードだ。 KLのローカルフード店では、珍しいものではないが、私はアンパン地区以外では食べる気がしない。と言うか、同じ料理とは思えないのだ。 値段も一品15円くらいなので、低所得者層からベンツに乗って食べに来る人まで様々だが、日本人観光客が来たのは初めてかも知れない。 食べている途中、ベースギターを担いだ息子が目の前を通ったので声をかけると、“こんな店で顧客を接待してるのかよ・・・”みたいな顔をしていたが、 実は接待さえしてなくて、両替でリッチになった2人に奢ってもらってしまったのだ。 名物ヨン・タオ・フーを満喫した後は、夕食まで野放しタイムとして、私は自宅に戻り寝ることにした。 トラベラーズハイの2人は、これからローカルのスーパーマーケットで買物をしたいらしい。 KLは治安も問題ないし、買物はカタコト英語でも充分なので、スーパーでもコンビニでも、どこでも好きにしてくれ、と夜7:30にホテルへ迎えに行く約束だけして一旦別れた。


夜7:30、陽も落ちてライトアップされたホテルで2人をピックアップし自宅のコンドミニアムに案内する。 今夜は、私の妻と次女も誘って、自宅から徒歩で行ける“スージーズ・コーナー”という、インド系主体のローカルフード店で、 「C級グルメ、食べたてみたいリスト」をイッキに潰していこうという計画だ。 しかし、この2人、他人のプライベイトを覗くのが、そんなに楽しいのか、車から降りると写真撮りまくり状態だ。 日本では珍しい敷地内のスイミングプール、コンドミニアム敷地前のホテルと大きな池、自宅のリビング、そして私の部屋まで、 全てお喋りしながらデジカメに納めていき、最後は『社長、ギター持ってポーズとって!』と、注文まで頂戴する始末。 私も妻も、あまり自宅内の写真を撮ることはないので、もし数年後ここからどこかへ引越しした場合、彼女達の写真で元居た部屋を懐かしむことになるかも知れない。 屋根付き屋外レストラン“スージーズ・コーナー”では、コダ長の食べてみたかったオタオタ(前出)の屋台がクローズだったの残念だが、 ロティ・チャナイ(小麦粉とバターをパイ生地のようにして焼くパンの一種)、 ロティ・ティシュ(小麦粉を薄く延ばし、カリカリにして三角帽子のカタチにした甘い菓子パン)、 ミー・ゴレン(マレー・インド風ヤキソバ)、 ナシ・ゴレン(マレー・インド風焼き飯)、 ナシ・ブリアニ(チキン等の肉と一緒に炊いたご飯)、 揚げたヨン・タオ・フー、 ガーリック・ナン、 タンドリー・チキン(タンドリーと言われる釜で焼いた串刺しチキン)、 ナシレマ・ビアサ(米、サンバル[エビ、小魚等を唐辛子とともにペースト状にした辛味調味料]、ゆで卵、イカンビリス[雑魚の揚げたやつ]、ピーナッツ:マレー料理の基本形)、 黒ビール、 生ジュース、 テ・タリッ、等を食べて飲んだ。 5人とはいえ、これだけオーダーすると流石に腹が苦しくなるが(在住の人は、読んだだけで胸も苦しくなると思うが・・・)、 料理撮影も含め、単独旅行者換算で3日分の種類のローカルフードが体験できたことになる。 予想外に家族とも話が弾んだので、笑い過ぎもあり、日中の疲れが2人にも出てきたようだ。 私も明日は午前中だけだが早朝6:00起床で仕事なので、そろそろ、お開きとすることにして、最後にレストランを背景にして記念写真を撮った。 今夜は2人きりでタクシーで帰ってもらうので、大通りまで歩き、流しのタクシーをつかまえた。 行先を告げ、値段交渉をした後、2人を後部座席に乗せたとき、時計の針は既に夜の11:00をまわっていた。 去って行く車を見送りながら、大切なことを思い出した。 観光最終日の明日こそ、念願の、占い師マスター・チンに会って、ナニやら占ってもらわないとイケナイ。 しかし、いったい、何を占って貰いたいのだろうか? まあ、なんであろうと、旅のメイン目的を、空振りで終わらせるワケにはいかないのである。 過労のカラダ全体に染みこんだ黒ビールが『早く寝ろ』と言っていた。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


【2008年3月3日(月) 4日目】
今日は、午前中は普通に仕事をして、昼頃セントラル・マーケットから電話してくる予定の2人と落ち逢い、占いの通訳をした後、事務所を訪問してもらい、 夕食はリーダー各のローカルスタッフとどこか彼等のお奨めの店に行く予定だ。 朝イチで、コダ長、あきのしん、それぞれの上司にメールで『元気に楽しんでくれています』とメール報告した後、 ローカルスタッフのGaryとSamに『今夜は、観光に来てくれた顧客と夕食へ行くぞ、都合はいいな?』と予定の確認をした。 それぞれの上司達は、私とほぼ同年代で、かなり昔からのお付き合いではあるが、既に、かつてのようなバリバリの中堅実務担当者ではなく、 今や会社の中心的役割を担う立場になっている。 そのこと自体は、私としても非常に嬉しいのだが、反面“自分も年取ったな~”と、現実を突きつけられる複雑な気持ちにさせられる存在でもある。 そんな、顧客であり、且つ同世代シンパシーも感じる上司達の部下が、今回マレーシアまで遊びに来てくれているので、 “大切な娘さん(年齢的には無理があるが)達をお預かりしている”気分も多少ある。 昼過ぎ、そんな大切な“娘さん達”から、約束の時間になっても電話が掛かってこない。 タクシーで運転手とトラブルになったか?、道に迷って四苦八苦してるのか?、はたまた、チョウ・キットみたいな危険地帯へ興味本位で行ってしまったのか? とにかく、事務所で電話を待っていても初動が遅れるだけなので、約束のセントラル・マーケットに車を飛ばした。 まず、占い師の店をチェックしてみたが誰も居ない。次に、マーケットの受付で公衆電話の場所訊く。 近くに居るなら、きっと私の携帯に電話をしようと公衆電話を探している筈だ。 受付嬢が、セントラル・マーケットの外に何組かの公衆電話が点在していると教えてくれたので、イチバン近くのところへ向かう。 最初の場所は、一目で日本人らしき者は居ないと分かった(全員ガラの悪そうな若いアフリカ系だった)。次に向かおうと思った瞬間、私の携帯が鳴った。 発信はどこかの固定電話だ。急いで出ると、聴き取り辛い音量だがコダ長の声で『前川さん、助けてください!』と言うではないか。 その瞬間、 『やはり、ヤバイところへ行ってしまって、何かのトラブルに巻き込まれたか!』、 『大切な顧客だから、チャイナタウンなどでフリーにすべきではなかった!』、 『上司達に顔向け出来ん・・・』、等々の言葉が頭の中で渦巻いた。 『どうした?、何があった?、今どこ?』と、緊張気味の私。 しかし、次の言葉を聞いて気が抜けた。 安心して気が抜けたので、明確に覚えてないが 『どの公衆電話も壊れてて通じないんですよ~』と言っていたような気がする。 そう、日本ではアリエナイことだが、海外ではアタリマエ。 公衆電話は“故障してなかったらラッキー”と、思った方が良いのだ。 私は気が抜けたが、それでも彼女達なりに焦っていたらしく、汗ダラダラで50m位離れた別の公衆電話で受話器を握っていた。


2人を“無事に保護”した後、予定していた念願の占い師の店に行ってみた。しかし、開店はしているようだが店の中には誰も居ない。 店に置いてあるチラシの電話番号にコールし『わざわざ日本から来ている』と説明すると、夕方には店に出ると言う。 店を開けたまま出張占いにでも出掛けているのか、それとも、自宅で寛いで客からの電話を待つ身分なのか、よくわからないが、 とりあえず夕方まではマスター・チンには会えないことが分かった。 夕方までは、まだ相当時間があるので、チャイナタウンで軽い食事をした後に、事務所見学をすることに急遽予定を変更した。 「チャイナタウンで軽食を」と、なるとやはりローカルコーヒーショップが安くて旨い(私と一緒だとこればかりだが・・・)。 セントラル・マーケットの前から信号を渡り、200mくらい歩いたクラン・バスステーションの前の麺を食べさせる夫婦屋台は我が家の定番だ。 私はカリー・ミー、2人にはシェアで2種類味見が出来るように、カリー・ミーとワンタン・ミー・ドライを頼んだ。 カリー・ミーとは日本風に言えばカレーラーメンだが、ここのスープはピリ辛且つココナツミルクの甘みが効いていて、カラダに良くないとは思いつつ、いつもスープを飲み干してしまう。 一方、ワンタン・ミーとは、日本式にするとワンタン麺。味の薄いあっさりスープに、細い麺を中心として、小ぶりの肉詰めワンタンと青菜、そしてチャシューという比較的癖のない一品だ。 ただ、今回オーダーしたのはスープでなくてドライだ。先のワンタン・ミーから、汁を取り去り、麺を皿に移して甘めのタレであえた、ジャージャー麺を細くしてひき肉を抜いたような食感である。こうして書くと『全然ワンタン関係ないじゃん!』と、言われそうだが、揚げワンタンが添えてあったり、小さなお碗にワンタンスープが付くので、汁麺のイメージとは全然違うが、 ワンタン・ミーと呼ばれている。人懐っこいオジサンと働き者のオバサンが働くこの夫婦屋台、前編に登場したお粥屋台とともに、私がマレーシアに来たときからずっとここで商売を継続している。味が落ちると即自然淘汰の波にさらわれる過酷なマレーシアの屋台シーンで、長年安定した商売を続けられるのは確かな味に裏打ちされているからであろう(ちょっと大袈裟か)。


腹が膨れて気持ちも落ち着いてきたので、車で我社の事務所へローカル社員達に会いに移動する。 おそらく日本の顧客で事務所まで来てくれたのは今回の2人が初めてだと思うが、仕事中のスタッフに指示して集合写真を撮ったり、 社長の椅子に座って記念撮影したりする顧客は、今後もあまり訪れない筈だ。 暫く、私の部屋でリーダー各のローカルスタッフとカタコト英語で談笑したあと、事務所を出て周辺を歩いて案内した。 どこにでもあるような雑貨屋で土産物を買いたいと言うので、午後6:00までには事務所へ戻ってくる約束をして野放しタイムとした。 午後6:00、土産物袋を抱えた2人が事務所へ帰還。今度こそは占い師マスター・チンに逢うべく、再びセントラル・マーケットへ移動する。 KLの夕暮れは夜7:30くらいなので、この時間はまだまだ明るい。車をセントラル・マーケット前の駐車所へ停め、“今度こそは!”と、祈りつつエントランスをくぐる。 通いなれてしまった通路を期待と不安(ちゃんと通訳できるか)を抱きながら店まで歩く。 通行人をかき分け中国寺院のような派手な色合いの店構えを覗くと、やっと居ました“マスター・チン”。 年齢は70歳前くらいだろうか?口髭と眉毛は白く、中国服姿が自然で、そんなに太ってもいない、私のイメージで言えば、香港のネイザンロードあたりで漢方薬でも調合しているような雰囲気の爺さんだ。 『わざわざ東京から来た』等、他愛の無い会話の後、『さあ、どちらのお嬢さんから始めましょうか?』と、値段の確認もしないうちに、占いはマスター・チンのペースで始まった。


最初にコダ長が占ってもらうことにした。『もっと近くに来なさい』と、血圧でも計るように手をとるマスター・チン。ちょっと、うろたえる会社で風紀委員のコダ長。 まるで、狭い店内で木の机を挟み向き合う患者と気功士、その患者の斜め後ろで、気功士の発する言葉を一言も漏らさず捉えようとする私は、患者のフィアンセか保護者のような構図だ。 『ここに占うジャンルのリストがあるが、どんなことを訊きたいのかね?』とマスター・チン。色々選ぼうとするコダ長に、『勘定が幾らになるか分かんないので、本当に占ってほしいことに絞ったほうがいいよ』と私。そうね、それじゃあ、と迷わず選んだのが【愛情(恋愛・結婚)】だった。 私は占いに関する知識はゼロなので何をどう占っているのかは不明だったが、生年月日を紙に書かせ、その数字でナニやら計算をしてから、タロットカードを使い 、あなの過去はこうだったでしょう、と、迷わず決め付けいくのがマスター・チンの占いスタイルだった。 その後の詳しい内容は、色々センシティブな質問や回答もあるので細部は割愛するが、 占いを要約すると、 『あなたは情が薄い。愛情よりカネが大切でMoney,Money,Moneyという生き方をしている』、 『あなたは生涯で二度結婚する』と言うことであった。あきのしんの占い結果も似たりよったりで、相違点は、 『あなたが将来結婚したいと思う相手は既婚者か外国人』という内容だった。 本人達の反応を見ていたが、マスター・チンの言ってることの5割は当ってそうな気がするが、残りの5割は心当たりナシ、といったところだろうか。 まあ、そもそも、占いに来る人で、悩みや不安をまったく抱えてない人など多くはないだろうし、その悩みはおそらく、仕事、恋愛、カネ、家族、健康、人間関係などの範囲に絞れば、 大概のことは半分くらいは当たるのではないか。 真剣な眼差しの2人には申し訳ないが、私は眉にツバして通訳業務に勤しんでいた。 マスター・チンの言いたい放題で1人RM80(約2,500円)。高いか、安いかは彼女達次第だが、まあ、私にとっては、金額や内容はともかく、2人の旅のメインイベントを無事終了出来たことが イチバン嬉しいことであった。


念願の占い師の話に満足したのか、何かの“お告げ”で吹っ切れたのか、2人はセントラル・マーケット入り口近くで、バカ高いハンコの彫り物を、閉店の9時までに彫ってもらうよう注文した。 その後、仕事を終えて駈け付けてきたGaryとSamと合流して、チャイナタウンのホーカーズで食事をした。 Garyが注文してきた、肉骨茶(バクテー:骨付き豚肉の漢方スープ煮)、焼き餃子、サテー(マレー風焼き鳥)、クリスピー・ポーク、炒クイティャオ(きし麺状の米麺を炒めたもの)を囲みビールを飲み、カタコト英語で会話する。 私は運転があるため、熱い中国茶を啜っていたので冷静に見ていたのだが、コダ長もあきのしんも珍しくハイになって、カタコト英語で、結婚の馴れ初めや、夫婦生活の質問を浴びせてGaryとSamを混乱させていた。時によって旅と酒は人間を大胆にさせるが、マスター・チンの占いが2人の背中を押しているのかも知れない(チン恐るべし)。 そんな楽しい時間も、あっという間に過ぎ去り、セントラル・マーケットへ注文したハンコを取りに戻らないといけない。 我々は食べ残した料理を持ち帰り用の袋に詰めた後、夜も更けて混在してきたハン・レキル通りの人ごみを掻き分けながらセントラル・マーケットへ戻った。 彫りあがったハンコを回収し、駐車場まで移動しGaryとSamに別れを告げる。 旅の出会いと別れは、いつでも旅する側のみ感傷的になるものだが、ウチのローカル達は、名残を惜しむ連れ2人の後について、ここまで来てくれた。 感動的な場面と言いたいところだが、大木の下に駐車してしまった私のせいで、車が鳥の糞のシャワーで真っ白になってしまっていて、“ムードぶち壊し”であった。


セントラル・マーケットからマヤ・ホテルまでのドライブは、小雨が振り出したが、ちょっと遠回りをしてみた。 翌日早朝には、豪華ホテル(結果的にプール以外は大満足だった!)をチェックアウトし、パックツアーの安宿に戻り、送迎の窮屈なバンで空港に向かう2人。 夢から現実に戻る準備としては、理想的な段取りかもしれない。僅か4日間であったが、彼女達にとっては忘れがたい旅行となってくれれば私も嬉しい。 振り出した小雨がしだいに嵐に変わる。滝のような雨を切り裂きながら車はホテルに到着した。 『またおいで、いや、今度は、どこか別のアジアの国を旅しよう!』と、握手して別れた。 思えば、今回は最初も最後も雨だったなあ。雨の中、なんとなく名残惜しさで遠回りしたようなドライブ。 でも実は『この嵐で、車に付いた鳥の糞を全部洗い流したかった』と、正直に目的を告白したら、彼女達に怒られるだろうか。。。


自宅の駐車場に車を停め、エレベータに向かいながら振り向くと、嵐で鳥の糞が流され、ピカピカになったHONDAが「おつかれさん!」と、二度ウインクをした。


(№57. オリジナル・パックツアー〔後編〕 おわり)

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