№86. 雑感、定年世代


ありがたいことに、2014年は公私に渡って年初からバタバタと前向きに忙しく、なかなか長文のコラムを書く気持ちになれなかった。 別に時間がないワケではない(私、時間がないと言う人は嫌いです)のだが、立場上いろいろと考えないといけないこともあり、気が付けば単調な日々のサイクルを疑問も持たずに繰り返しているのが現状だ。 そんななか、新しいプロジェクトの計画を立てようと予定表を確認すると、7月7日の欄に「55歳」という記述があり、分かってはいたが、ちょっと複雑な気にさせられてしまったのだ。 55歳といえば、マレーシアではちょっと前までは「定年」の年齢だった。 「定年」といえば、退職して年金生活の準備を開始するか、再雇用も含めて新たな仕事を探すような、人生における大きなターニングポイントなのである。 さすがにマレーシアでも、55歳定年では将来の社会的な問題(負担)が見えて来たようで、2013年からは60歳に引き上げられたが、実際に今迄は55歳で引退する人が多かったわけだ。 まあ、客観的に考えてみれば、若い頃は雲の上の存在であった取引先の部長や役員が、今では自分より若い人がやっていたりするのは当たり前で、 極端なところでは、超大国アメリカの大統領ですら年下なのだから、そろそろ現役を退く準備を開始しないといけない時期であることは確かだ。 自分の場合は、吹けば飛ぶような小さい会社であるが、オーナー社長でもあるので、早過ぎる無責任な引退はマズイ。かと言って老害を撒き散らした挙げ句に追い出されるのも美しくない。 自称「気持ちは18歳、見てくれと体力はギリギリ40代後半、思慮分別は年相応」な私としては「今後どうしていくか?」は大きな課題なのである。


なにかの本で読んだ「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」という言葉を私はとても気に入っている。 いや「気に入っている」というより「肝に銘じている」といった方が正確だ。 私の理想の高齢者像である日野原重明さんや小澤征爾さんは、社会的地位だけではなく、実年齢も相当高い方達だが、その熱意やユーモア精神は「老い」とは縁遠い。 失礼ながら、あの年齢になっても、そして体がついて来なくても、未だ「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい」と少年のように好奇心旺盛なところが素晴らしい。 そしてなにより、言うことがシンプルで分かり易い(なのに重みがある)。 本当に凄い人、本当に偉い人は、自分を知識や権威で飾らなくても、素のままで充分かっこいいもんだ。 逆に、必要以上にものごとを難しく言い知識を見せびらかす人達や、権威に寄り添い「俺は凄いんだよ、俺はエライんだよ!」と全身粉飾決算のおじさん達は、 ワタシ的にはかなりイケてない存在だ(知識に関しては、コンプレックス半分だが)。 どうせ年を取るなら、日野原さんや小澤さんのような存在になり、心は少年のままピンピンコロリを目指したいもんだ。


一方、加齢による容姿の変化は如何ともし難い。 最近、ワケあってYoutubeを観漁っていたときに出てきたのだが、元ストリートスライダーズのフロント二人の見てくれの激変には、同世代(私はお二人の中間)ということもありかなりショックを受けてしまった。 このお二人、全盛期には誇張でなく「筆舌に尽くし難い」かっこよさを誇っていた。 寡黙なワルと中性的なアイドル顔が弾き出すルーズなノリは、賞賛として「リトル・ストーンズ」と呼ばれていたが、 当時、既に「若さ」や「稚拙さ」を失っていたストーンズよりも危うい感アリアリで、独特の雰囲気を持ったバンドであったことを記憶している。 それから10数年(いや20年かも?)、2000年に解散していたことも最近知ったぐらいご無沙汰であったが、偶然、解散ライブの映像を観て「んっ??、えーっ!」と、かなりの容姿の違いに違和感を覚えてしまったのだ。 「これが2000年の映像であれば、2014年の今は?」と、小学校時代のクラス会に出席するような気持ちで、怖々検索して行くと・・・。 そこにあったのは、2014年の写真かは不明だが、人の良さそうな丸顔のおじさん(失礼!)と、尖ったまま生きるのに不器用そうな不良中年(これまた失礼!)の姿であった。 正に華麗から加齢。 輝いていた30年も前の勇姿と比較するのは残酷なことで、且つ、自分のことを棚に上げて言うのもどうかと思うが、平家物語の「無常観」は、いつの世でも共通なのだと再認識させられたほど衝撃であった (まあ、そのぐらい80年代の彼らは、同性の私からみても、とびきりCoolだったということなのだが)。


「無常観」といえば、私の属するIT業界は、まさに「盛者必衰」を短いスパンで目撃できる賞味期限の短い会社の集合体だ。 Mt.Gox社のような瞬間風速的な現象は問題外としても、安泰の筈の大手を含めても栄枯盛衰が激しい。 これを書いている2014年5月3日もインデックス社が破産手続きに入るとのニュースが出ている。 インデックス社といえば、経営者が「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」などを受賞したりして「勝ち組」だった筈だが、M&Aでの拡大路線のツケか、結果的に各方面に迷惑をかける悲惨な終わり方になってしまっている。 私、個人的には、20歳代からカネの苦労(ズバリ人件費だが)ばかりしている影響か、先のような拡大思考には否定的な立場で、かなり若い頃から「成長神話からの脱却」こそが大切ではないかと思っていた。 好みでいえば、以前から流行っている「断捨離」や、最近ベストセラーとなっている「里山資本主義」的な「持続性」を基本とした発想がイチバンしっくりとフィットするのだ。 「低成長」オッケー、「低空飛行」無問題、「縮小均衡」何が悪い、「GDP至上主義」糞食らえ。 常に一定の成長を日本本社から迫られるいる取引先の大手通信企業の社長さんなどからは、さぞかし「やる気の無い社長」と思われている筈だが、 私からは「あなたの会社の日本本社が言う[成長]って、人々の暇つぶしの選択肢を増やして、もっと稼ぐってことだよね?」などと冗談まじりに、業者の分際で憎まれ口を叩いている。 別に、引退世代に足を突っ込みはじめて腰が引けてきたワケではなく、妄信的に「デカくなることは良いことだ」とは(先のインデックス社の例をとってみても)どうしても思えないからなのだ。 そして、零細企業のオーナー社長としては、常に「万一の際」のことを念頭に活動範囲を縛る必要があり、なるべく周りの方々に迷惑をかけないフェードアウトを意識しておかないといけないのだ。 どれだれ健康に留意してようが、不本意ながら飛行機とともに忽然と消えてしまったり、転覆した船に取り残されて行方不明になってしまったりする事件が現実に起きている今、 「その時はその時、あとのことは知らんよ」では、あまりにも無責任だ。 まして、自身の見栄で拡大路線をひた走り、マスコミの取材などで散々エエカッコした挙げ句に「実は破産しました、ゴメンナサイ」では、チト寂し過ぎるのではないか。


「マスコミの取材」で思い出したが、先月、同業者の飲み友達から「6日後に、現地の新聞(The New Straits Times)の取材で、日系企業TOP達の対談がある。 ウチがスポンサーなんだけど出演予定者の都合がつかず困っている」との連絡があった。 その取材の週は珍しく全日外出予定だったで、最初は断ろうかとも思っていた。 しかし、私は完全な員数合わせの出席者とはいえ、「全国紙に社名や個人名が出るチャンスなど、凶悪犯罪でも犯さない限り無理なことだ」と、 後ろ向きだか、前向きだかわからぬ判断と、何でも見てやろう精神で、スケジュールを強引に調整したうえで、参加させてもらうことにした。 当日は珍しくスーツの上着を着て、指定されたホテルのイベントブースへ行くと、大手日系企業のエグゼクティブ達との”Round Table Discussion”なる場がセットされていた(テーブルは四角だったが・・・)。 テーマは、日系企業進出による現地への技術貢献や、現地でのリスク、等々。 正直なところ、何をどう喋ればよいのか分からない(因みに会議は英語!)まま会場へ入ったので、司会役の華人女性と編集者のインド系(?)男性に促されるまま、アドリブで自分の経験とマレーシアへの愛情を話してきた。 他の参加者達は、日本の社会人なら誰でも知っているのうな大手企業の関連会社の幹部の方達だったので、自分は、まるでエコノミー席から当日棚ぼたアップグレードでファーストクラスに座ってしまったような場違い感であったが、 会談終了後の、スポンサー企業の若い女性社員達とのブッフェも含めて、普段とは違う一日が過ごせてとても楽しかった。 こんなイベントに、員数合わせとはいえ招待されるようになったのも、年齢のせいなのかと思うと、「若手では替えがきかない分野もあるのだな」と、 同業者の飲み友達に貸しを作ったことも含めて、妙な満足感であった。 翌日、The New Straits Timesのサイト内検索で自分の名前を入れてみたら、写真付きの記事が出ていた。 そして驚いたことに、私がイチバン発言が少なかったのに、並みいる大手企業をおさえて、我社の名前がトップで紹介されているではないか。 社名順でも氏名順でもなさそうなので不思議がる私に、当日の詳細を話してあった妻が言う。 「編集者も多分マレーシア人。この国の問題を指摘する際にも、マレーシアが大好という前提を入れたのはアナタだけだったからでしょ」と。 おそらく事実は、「こいつに関して書くことがないので可哀想だから、名前だけでも最初に出してやろう」程度のことだと思うが、私としては「凶悪犯罪を犯さず」全国紙に出ただけでハッピーだった。


「新聞」ネタついでだが、マレーシアでは2014年3月末をもって、紙の[国際版]朝日新聞の配達が終わってしまった。 シンガポールで印刷して当日午後には会社のポストに配達されていたので、そのコストと売上が合わなくなっていたのだろう。 今後も高い料金に目をつぶれば空輸の日本版を配送してくれるようだが、その値付けは「紙に執着している年寄りは無視して電子版に移行させろ!」との新聞社の意思がミエミエだ。 断然「紙派」の私であるが、4月末までは電子版のお試しIDを貰っていたので、古いiPadで読むことが出来た。 一人の「年寄り」読者としては、紙から電子版への移行は、意外なことに、たった二週間で慣れることが出来たので良かった。 が、しかし、何故かiPadのアプリがハングしまくりで超ストレスフルなのだ。 ハングしては再インストールを繰り返す日々、その間アプリは改善されず。。。 こうなると「ネトウヨ」ではない私でさえも朝日新聞の対応に怒りを覚えはじめて来る。 4月末、結局、お試しの結果、アプリがハングしなければ満足していたにもかかわらず、購読を諦めることにした。 前にも書いたが、右傾化が進む日本で、なにかとやり玉にあげられる朝日新聞は、そういう視点で見ると色々と面白かったのだ。 ひょっとしたらイチバン熱心な読者は、記事批判をするために熟読せざるを得ない右翼の人達かもしれない面白い現状。 こういう状況で書かれている(あるいは故意に書かれない)朝日新聞の記事は、右一辺倒になりがちなネットの世界を、複眼的な視点で振り返らせる一定の効果はあると今でも思っている。 しかし、私と同じように端末アプリの不具合で購読を止める人はけっこう多いのではないか。 現にアプリ評価のサイトを見ると「カネ返せ」だの「これは詐欺だ」などとあからさまな批判が多い。 自分の職業的な観点からみると、これはかなり重大なことだ。 たかが端末アプリであるが、売上の元である購読者にストレスを与えたうえ、電子版移行希望者までが購読を諦める(売上が減る)事態なのだ。 技術に強い「ネトウヨ」がこっそりウイルスを忍ばせているのであれば朝日新聞にも同情の余地ありだが、 こういう事態の放置が「新聞離れ」や、ひいては「活字離れ」を助長させてしまうのであれば社会的損失も小さくない。 そして、日本の引退世代の人達が、リタイアしてから家でやることといえば、まず、じっくり新聞をよむことだろう。 スマホやタブレットが、新聞やテレビに代わってしまいつつある今、ソフトウエアの重要性と社会的責任を痛感させられる出来事であった。 まあ、他社批判ばかりしていないで、こんなことでも「他山の石」としないと、「口うるさいだけで進歩のない年寄りは、IT企業には不要!」と、早々に引退勧告されてしまうかな。。。


最後に音楽話をもう一つ。 ちょっと前に日本からKLに来られた、有名ギタリストの三好 "Sankichi" 功郎さん(この方も同年代)と、幸運にも会食する機会があり、地元の屋台街であるジャラン・アローで、 音楽談義や、共通の(元)地元である高円寺のご当地ネタなどで盛り上がった。そんななか、三好さんの先輩格のギタリストである野呂一生さん(あのカシオペアの創始者!)の話が印象的であった。 野呂さん曰く、「三好君さあ、ギタリストとしては年を取る前に、テクニック中心から”渋さ”にシフトした方がいいよ。 僕なんかバカテクで昔からずっと勝負したままだから、今となっては、そのテクニックを維持するためだけに練習しないとイケナイのでツライよ」とのこと。。。

みんな努力しているのだ。まだまだイケル、ガンバレ50代!


(№86. 雑感、定年世代 おわり)


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