№31. 中年ビーチボーイ達の憂鬱〔後編〕


腹がへって来たので昼飯でも食べようと冷房の効き過ぎたホテルの部屋を出て外でブラブラしていると、“極楽寺~ペナンヒル観光組”のバスが帰って来るのが見えた。バンドメンバーやその家族で10人くらいがミニツアーに参加していたようだ。聞くと皆で途中屋台のペナン名物激安ホッケンミー(福建麺)食べて来たらしい。観光はともかくローカルフードに目が無い私は悔やんだがプールサイドの高いハンバーガー(けっこう美味しかった)とビールで我慢することにした。リハーサルのための集合時刻15時30分までは皆それぞれの楽しみ方で過ごしていたが、どうしてもしっかりと弾けないパートが沢山ある私は部屋でこっそりギターの練習をしたりピックを磨いたりして、それなりに緊張していた。


集合時刻。サウンドチェックとちょっとしたリハーサルの為にホテルのロビーにメンバーは集合した。このとき初めてホテルの日本人マネージャーのM氏を紹介された。30代半ばくらいだろうか一見真面目そうな感じも受けるが“実はけっこう遊んでいる人”というのが私の第一印象だった。実はこの人、前にも触れたが我々の演奏を一度も聴かずに今回の企画を強引に進めてしまっている張本人なのだ。話によるとM氏もギタリストでお父上は著名なプロ演奏家とも親交があるらしい。 音合わせということもありラフでショボイ服装のメンバーが多いせいか傍目にはとても音楽を演奏するように見えない我々を見てM氏は「このおっさん達、海水浴の帰りみたいな格好してるけど、本当にちゃんと演奏出来るんだろうか?やっぱり事前にチェックすべきだったかも知れない...」と一瞬心配そうに表情が曇るのを私は見逃さなかった。彼の不安を煽るように、昨夜のバスで“胡瓜ジンロ”を飲み過ぎたかボーカルは体調が悪くかなり冴えない顔で遅刻して来た。M氏は独自の判断で今回の企画を纏めているとは言え、事前準備から予約の具合といいここまでは相当順調に来ているようである。しかし最後に残った彼の不安材料は今回の“目玉”である我々なのだ。もし、演奏が“学園祭モノ”で客からブーイングなど出ようものなら彼の職場であるホテルでの立場は間違いなく悪くなるだろうし、次回からはこの手の企画にはチャイニーズの上司が煩く口を挟んで来るに違いない。互いに自己紹介をし合い、すこしだけ世間話をした後、彼は我々の労働ビザカードをコピーするために集めた。労働ビザカードとはパスポートに貼ってある就労ビザと同じようにマレーシアでの就業を許可された者に渡されるキャッシュカード大の写真入りプラスティックカードである。海外旅行の時はこれをイミグレーションで提出すれば入出国カードの記載が免除されるので非常に便利なものである。マレーシアでの公的機関への入館などでは身分証明としてパスポートかわりになるが、何故かお巡りさんから路上で「パスポート見せろ!」と言われた場合はこのカードではダメらしい。何故このカード情報をホテルが必要なのかは詳しくは不明だがプロ演奏者用のビザを持っていない我々がノーギャラとは言えこういったカタチで演奏する場合は、念のために“当地で働いている人達”という証拠を欲しいのかも知れない。


雑談も終りホテルのロビーを出て徒歩で3分くらいの距離にある海辺の特設ステージに向った。会場のレストランでは今夜のビュッフェディナーの為に従業員達が準備に追われているところだった。楽器を持った我々が会場入すると大半の従業員達が笑顔で迎えてくれた。ステージ上はかなり暑く数分もすると汗ばんで来る、気を利かせたレストラン側からのミネラルウォーターの差し入れがありがたい。サウンドチェックはいつものようにドラムから順番に各楽器の音を決めて行き数曲演奏して終えるのかと思いきや、PA(音響システム)の操作に来たエンジニアがアルバイトのようなお兄さん達で何も知らないようだった。PA屋がアテにならないのはマレーシアでは珍しくないので自分達主導で調整は終わらせた。心配したホテルの部屋と屋外の温度差による楽器(弦)の調整も想像していた程必要ではなく、かなりシャキっとした乾いた音になったので一安心だ。ふとステージ後ろのビーチを見るとリゾート地らしい風景が絵になっている。暑いが時々吹いてくる浜風が心地良い。「こんな所で一度演奏してみたかったんだよな~。」と喜んでいるとリハーサルの曲が始まった。ノリの良いロックンロール調の曲が進むにつれ8ビートに合わせてリズムをとりながら作業しているウエイターが増えてくる。ビーチからは人が集まって来た。現地人や泊り客の白人達に混じって朝方声をかけて来たビーチボーイが「こんな曲もやるのかよ?ブルーズって言ってたの嘘じゃね~か!」とばかりに親指を上に向けたGooサインを送ってくる。こちらからは「こちとら、ただのブルーズバンドじゃないのよ!」と笑顔を投げ返す。内心不安一杯のまま遠くで音合わせを見守っていたであろうM氏の表情も既に底抜けに明るくなって小躍りしている。気分が楽になったのか『これで首がつながったよ~。』などと本音ともとれる表情で周囲の関係者にふれ回っているようだった。実は偉そうなことを言っている我々もM氏の反応には神経を使っていたので、正直言うとその笑顔を見た時は厳しいオーディションにでも合格したような気持ちだったのだ。その後気持ちが良くなったのでアップテンポやスローを織り交ぜて数曲裏方の皆様に練習がてら披露してしまった。リハが終りリラックスして各自一旦部屋へ引き上げる途中にKLで一緒に少年野球を世話している知り合いのご夫婦に偶然会った。「日馬プレス(地元日本語誌)で見たら、ちょうどペナンに日本の両親を連れて来る予定とマッチしたので見に来ました。写真を撮って他のお母さん達にも見せるので頑張って下さいね。」と言われ一気にリラックス状態が妙な緊張感に変化してしまった。


開演時刻より大分前に全員会場に入った。メンバーやその家族そして親戚やメイドも含めて総勢約30人の団体の我々は特別に準備されたビーチ寄りのテーブルに落ち着き一般客が来る前からビュッフェディナーを飲み食いすることを許された。本番直前ということもあり食欲などある筈もなくビーチの夕日を背に集合写真などを撮っているメンバーを尻目に家族達は大量に並べられた料理に心惹かれているようであった。会場にセットされたテーブルが7割くらい埋まった頃に演奏を始めた。ステージ上から見ると狭いパブなどと違い閑散とした印象だったが後で聞くと最終的には満席で入場出来ない人も居たらしい。演奏は二部構成で第一部は短めに切り上げるという予定通り、音もタイトに仕上がり上出来だった。休憩に入ったときにSax奏者の奥さんは皆の前で「お父さんスゴ~イ!」と抱きついていたし、最近学校の仲間とバンド活動を始めた息子も「やっぱDSBBは実力あるんだな~。」と手放しで誉めてくれた。オーストラリアから来たという客からは名刺を渡され「次はシドニーで...」なんて嘘のような話もちらほら出ていた。しかし、第二部はちょっとラフ過ぎた。前半はオルガン奏者の好演やハープ君の体を張っての熱演で客を沸かせたが、ノリの出てきた客が立ち上がりダンスを始めた頃からは逆に演奏が荒くなる一方だった。客のノリに煽られて演奏がラフになるのはライブではしょうがない部分もあるが、こういうのは後でビデオを観るとけっこう辛いのだ。とはいえライブ自体はサクラ軍団の貢献とリゾート気分の外人さん達にも助けられホテル側にはとても良い印象を与えたようだった。事前の約束では付き添って来た家族のビュッフェ代金は有料の筈だったが、我々を気に入ってくれたホテルのチャイニーズボスの“ツルの一声”で全て無料(タダ)になってしまったのだ。演奏が終ってからも北欧の国から来た人だったか「次はどこでやるんだ?」と聞いて来たり、ホテルからは「年末のブッキングを入れてもいいか?」とオファーされたり雑な演奏だった割には嬉しい反応が多かった。ただ一人「後半の演奏はショボかったから踊りで乱入してやったぜ!」と息子に痛い所を指摘されてしまった。客が帰った会場でM氏ともう一人演奏中に非常に盛り上げてくれたホテルの日本人の方も仲間に入れて乾杯をした。ビールを飲みながら余興に生ギター、ハーモニカ、メロディカで今日演奏出来なかった“Sweet Home Chicago”を演奏した。その時、年末のイベント出演を強く要請されが秋で事実上活動を停止しなければならないので保留とせざる得なかったのは残念だった。夜も相当更けていたがそれから子供達を部屋に寝かしておいてホテルの外に仲間うちだけの打ち上げに出た。外国人観光客相手のような見るからにインチキ臭い店以外は混んでいるか音がデカ過ぎたので仕方なしにビートルズが繰り返し流れるその店に入った。幸いピアノ奏者の奥様がチャイニーズマレーシアンということもあり注文や交渉を仕切ってくれたので“ボラれず”に済んだ。疲労で大して飲まなかった割にはホテルの部屋に帰ったのは何時かまったく記憶に無い。


翌日の最終日も出発時刻の昼までプールやパラセイリングなど各自思い思いの方法で過ごした。朝食の時レストランで昨日偶然会ったKLの少年野球の知り合いのご夫婦の顔が見えたので感想が聞けるかと思ったら、「満員で入れませんでした。せっかく写真撮ろうと思ったのに...。」と言われてしまった。ずっとその写真のことが気にかかっていたので安心したと同時に、ライブを見てもらえなかったのはちょっと残念だとも思った。しかし、連れ添って来られたご両親や小さな子供さんを見た時「あんな騒々しい所で食事されるのはちょっと酷かも知れないので満員で良かったかな。」と正直ほっとしたのは事実だ。


昼になり、二晩お世話になったホテルをチェックアウトした。領収証の宛名が“Deep South Blues Band”になっているのは笑ったが部屋代が激安の上に4人×2日分の朝食代も全てしっかり無料になっていたのは大感激だ。ペナンとマラッカで仕事のためKLへ戻れないリーダーとM氏が玄関口で手を振るなか一同はバスに乗り込み一路KLまで向った。車中、疲れて眠る者が多いなか、まだ元気のあるメンバーでバスの後ろに固まって色々な話をした。私は個人的にだが今回の演奏はあまり納得出来るものではなかったので、どうしてもこれでこのバンドを終りにすることに心の整理がついていなかった。「何か納得出来る方法でこの気持ちにカタをつけたい。」、「記録に残るような事をしてこのバンドを終りたい。」という気持ちが強く、今までの集大成を記録(つまりレコーディング)すべきだと提案した。会話に加わっていたメンバーも乗り気になり各自の経験談などを話してくれた。一月半後にはオルガン奏者が二ヶ月後にはボーカルがマレーシアを去ってしまうが、その短い間に“やれるだけのことはやろう。”と確認し合っている間にバスの外は見慣れた景色に変わっていた。日本ではこれから夏真っ盛りというこの時季だが、おじさん達は迫り来る秋をまた少し引き延ばそうと最後の抵抗を試みるのだった。


後日談だが、バンドは別れを惜しむようにリーダーの結婚パーティーと、ボーカルの勤める会社のアニュアルディナーの二回ショートライブをやった。また、新婚のリーダーや家庭不和を恐れる一部のメンバーを夜な夜なレコーディングスタジオに連れ出しては記念CDの録音もした。このバンドに参加して約二年半、練習や演奏でいろいろな場所へ行けたし、メンバーを通じての人脈も広がりマレーシアでの生活も非常に楽しいものになった。そして何よりも学生のように利害関係なしの仲間と音楽に集中して遊ぶことが出来たのが良かった。それぞれの仕事の都合でメンバーが離れ離れになってしまうが、今後もこの神様からプレゼントされた“季節はずれの青春時代”は決して忘れることは出来ないだろう。「還暦になったら、また集まってライブやろう。」まもなく後ろ髪を引かれながらもマレーシアを離れて日本へ帰国するボーカルが言った。誰の還暦にあわせるにしても随分先のはなしだ。半信半疑な部分もあるが、“スタジアム・ネガラ(国立競技場)でNHKの取材付きでライブを演る”という暴言以外は殆ど口に出したことは実現させて来たこのメンバー達だったらきっと集まるに違いない。なんとなくそんな予感がする。私もそれまでは指が動かなくなってしまっているかも知れないがギターを捨てないで弾いていようと思う。いや、そのくらいのジジイになってはじめて本当のブルーズが弾けるのかも知れない。まだまだチャラチャラした音楽や文化も好きで若い世代に迎合気味に生きている青い私は、十数年後のリユニオンで人間として内部から滲み出る渋い味を出せているか、人間的に歳相応に成長しているのか、そんなことより経済的にそんな余裕のある老人になっているのか、といろいろ考えるだけでも今から憂鬱になってしまう。とにかく夏は終った。


(№31. 中年ビーチボーイ達の憂鬱〔後編〕 おわり)

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