№38. 酒とチリの日々


大手企業のように頻繁に出張者や顧客が来ることのない在マレーシアの我社に珍しく2週続けて日本からの客人があった。客人といっても1週目は日本のスタッフ1人、次の週は仕事を手伝ってもらうために来た同業者の2人だ。同業者のうちの1人はKLはおろか海外は初めてらしいが他は共に3度目の来マで以前に来た折にひと通りの観光案内も済ませているので気楽と言えば気楽である。しかし、社員や同業者といったお金を頂く“お客様”ではないとは言え“遠来の客”をもてなすのは在外駐在員の準メイン業務。まして世界に誇るC級グルメの宝庫に来たからには、あれも食べさせたい、これも試してほしいと常日頃からローカル・フードをこよなく愛する私としては、ここぞと張り切ってしまうのである。 前週と前々週に2度の東京出張で多少バテ気味だったが、「最近、コラムにアジアの話が少ないね!」との批判を食べ物ネタでかわそうという下心と、溢れ出るホスピタリティで夜な夜な安くて旨そうなものを求めて歩くのであった。 (因みに言っておきますが庶民派の我社に仮にゲストとして来られても“超豪華なホテルで最高級料理を食し、夜更けは美女のいるラウンジで接待”なんてことは99%ありませんので決して期待してはイケマセン。)


某月19日(日)
自宅に何も無かったので昼飯に近くのアンパン・ポイントでミャンマー式・ミックス・ライス(中国語表記で経済飯または雑飯、皿に盛られた米に自分で好きな惣菜を好きなだけ取りお会計で見せて値段を決めてもらう仕組み。惣菜は肉、魚、野菜、煮物風、カレー、卵、等々多種多様。値段は選んだもの次第だが100~200円程度)を渋々食べて夕方からの空港出迎えに備えた。夕刻スコールを気にしながら半年限定KL駐在の日本人スタッフのO君と一緒に車で来マする日本社のスタッフのK君を空港(KLIA)まで迎えに行く。私も昨夜東京から戻ったばかりなので2日続けてのKLIAだ。運転は社長兼運転手の私。BGMにと買ってきたばかりのイタリアンプログレのCDをかけてみたが、道が悪いのと高速で走るとエンジンの音が煩くて何も聴こえなかった。30分程遅れてのピック・アップ後、ホテルへの道中「今夜は何食いたい?」と問うと「アンパンの焼肉がイイっすね~。」とK君。マレーシア初日に韓国の焼肉ってのもどうかと思ったが、実は私の住むアンパン地区にはコリアン・タウンがあり各国の大使館が多いので有名なことと同時に本格的な韓国レストランが多くあることでも有名な地域なのだ。前回の出張で食べさせた焼肉が好印象だったのだろう、私とO君のために成田で高いバーボンウイスキーを買って来てくれた礼も込めてK君のリクエストを受け入れた。ホテルにチェックイン後、車をコンドミニアムにしまい徒歩で地元コリアンお奨め店「ハンウーリ」に行くことにした。普段は予約した方が良いのだが幸い満員になる時間帯のちょっと前だったので席は簡単に確保出来た。タン、カルビ(ここでは全て骨付きカルビ)、チヂミ(ちょっと薄いお好み焼き)をオーダーし、ケジャン(わたりガニカニの醤油漬け)はあるのか?などと言っている間にも次々と小皿が運ばれて来る。キムチ、水キムチ、豆腐、ポテト、白菜の漬物、青菜、カクテキ、レバーのスープ等々。日本式焼肉店ではあまりないと思うが、韓国式だとこれらの小皿(六割がた唐辛子系)が何も言わなくてもテーブルいっぱいに並べられるのは慣れたとはいえ圧巻だ。私はビール、アルコールがダメなK君はコーラ、ビールはダメだが強いアルコールはOKのO君はジンロ(韓国焼酎)でタラフク飲み食いして初日のウェルカム・パーティーを無事終えた。帰り際にコリアン製品ばかりのコンビニを覗き濁酒のようなマッコリを買って帰ろうかと迷ったが、今夜封を切ってしまうと明日からの仕事に響くので買わずに帰った。


某月20日(月)
昼飯はK君O君と一緒に事務所のあるオフィス街“フィレオ・ダマンサラ”(以下:〔PD〕)のインド式食堂でカレーを食べた。カレーと言ってもマレーシアのものはご飯にカレー・ルーをかけて福神漬けを添えただけの日本のライス・カレーとは少し違う。先のミックス・ライスと同じ仕組みで入り口近くで皿にご飯を盛ってもらい、鶏肉(アヤム)、魚(イカン)、イカ(ソトン)等の揚げ物、ツナのコロッケ状のもの、生キュウリやニンジンのサラダ、ゆで卵、インゲンや現地野菜の煮物、ゴーヤやカリフラワーのフライ等々を好きなだけ皿にのせた後、チキン、ビーフ、魚等の辛いカレーをかけて、最後にパリパリ食感のクラッカー(味の無いサッポロポテトを平たくしたようなもの:表現が難しい!)をのせて食べるのだ。ここで興味深いのは、客は好き勝手に席につき値段も決まらないうちに食べ始めてOKなのである。食べていると「飲み物は何にする?」とドリンクのオーダーをとりに来て、その飲み物が来た後くらいに店のインド人の中でも比較的頭の良さそうな顔した人(他がアホみたいな言い方で恐縮ですが・・・)が来て値段をサッと紙に書き食べている皿の下にスルリと挟み込んで行くのである。食べ終わったらその紙をレジに持っていきお金を払えばOKというちょっと変わった仕組みなのだ。値段を高くされない秘訣はズバリ品数を抑えること。日本人出張者の傾向としては少しずつ色んなものを食べたいという気持ちが多く、少量で万遍なく皿に乗せてしまうので不利になってしまうようである。値段は食べながらの査定の為に少しとったのか大量にとったのかの違いではなく、種類×単価が適用されるので結果高くなってしまう場合が多いようだ。一方、店が混んでいたりすると食べ終わっても値段付けの担当が現われず、レジで自己申告なんてことも何度かあった。そんなときはもちろん私は堂々と過少申告することにしている。まあ、1人の食べる量の差なんて高が知れていて高い安いと騒いだところで大きくてもせいぜい100円くらいの誤差なのだ。ゼロを発見した偉大なるインド人達にとってはこの程度は “ノープロブレム”の世界なのかも知れない・・・・・・。 さて、この日の夜は数日来の過労気味をリフレッシュすべく皆との会食はパスすることにした(来客が身内で良かった!)。話によると、K君とO君で繰り出した繁華街のブキッ・ビンタンで入った小奇麗なタイ料理屋は最低だったそうだ。(だから言ったろ、“マレーシアの法則”では小奇麗で高いところは美味しくないって。)


某月21日(火)
出張者に毎日辛いチリ(唐辛子)系の料理も飽きるかと思い、昼は優雅に飲茶(こちらではディム・サムと言う)しようという事になり事務所近くのイースティン・ホテルの中国料理のレストランに行ってみた。入り口に行くとチャイナ服のお姉さんに「予約されてます?」と聞かれたので「ノー」と答えると「只今満席です。」と言われてしまった。こんな昼間からよく満席になるものだと感心しつつも、ジーパンにTシャツ姿で貧乏そうな3人組だったので断られたのかも知れないという疑いも捨てきれなかった。すっかり飲茶気分だったのでカレー風味のローカル・フードは食べる気がしなくて〔PD〕の小奇麗なニュージーランド料理を出すカフェに行くことにした。実はここ私も初めて入ってみる店だったがネクタイ族や欧米企業の秘書のようなのローカル社員の姿ばかりだったので高くてもたいしたことはないだろうと思っていた。メニューを見るとローカル店の3倍から10倍の値段に少々たじろいだが、日本円にすると1,000円ちょっとだったので3人とも店員に薦められるままにシーフード・ランチ・コースとやらを頼んでみたが完璧失敗だった。見た目には12センチ大の焼きエビが3つも乗っていたり殻つきの貝などは一見豪華なのだけど、食べ辛いのとどの素材も味がイマイチだったので満足感にはほど遠かった。やはり、ここでも“マレーシアの法則”は当てはまるのだった・・・・・・。 そして夜。3人は昼間のロスを取り戻そうと観光客にも有名なローカル屋台街のジャラン・アローに車で向かった。元刑務所のあるジャラン・プードゥー寄りの野晒し駐車場に車を入れ、屋台街の端にあるお目当てのチキン・ウイング屋へと向かった。オープン・エアーでの食事は暑いのと足を蚊に食われるので冷房付きの部屋に入った。早い時間のせいか人も疎らでオーダーを取りに来るいつものオバサンも笑顔なんか作ったりして随分余裕があるようだった。我々を日本人と見ると「ナニタベル?、カニ、エビ?」と片言の日本語で高いものから薦めてくる。定番のチキン・ウイング(手羽先をほんのり甘いタレに漬け、表面がカリっとするくらいに香ばしく焼き上げた評判の逸品)、野菜はベビー・カイラン、普段は高くてたのまないチリ・クラブ(蟹のチリソース仕立て)、グルッパという魚のディープ・フライド(姿のまま油でカラりと焼いたもの)、それと、とにかく辛いスープのようなものがほしいと言うK君のためにアッサム・カレー・スープ(香辛料とタマリンドで煮込んだ辛酸っぱい味のカレー・スープ)をオーダーした。酒はビールと紹興酒、例によってK君はコーラのみ(実は彼の泊まっているホテルは私の自宅のコンドミニアムの隣、飲酒運転をしたくない私の替わりに彼が車を運転して行くというワケだ)。最初は、ちょっと食べ物の量が足りないかと思ったが充分だった。腹いっぱい飲み食いしてお会計は6,000円くらい。観光地価格と言われているこの辺りですらこの程度の値段で満足感を得られるので安いものだ。3日目にしてやっとローカルフードらしい食事を満喫させることが出来た私は別の意味で満足だった。帰り道、O君のためにタクシーを止めたが法外な値段を吹っかけて来たので“ざけんな!”と日本語で追い返し、結局、K君の運転で反対方向のバングサ地区へO君を送った。その後、ホテルと私の自宅があるアンパン地区に帰って来たのは何時頃だったろうか。その夜ずっと何かが気になっていたのだが自宅のベッドで気付いた。それはK君が「今回は国際免許とって来なかったですよ」と初日に言っていたことだった。


某月22日(水)
この日の昼飯はマレーシアン・ローカルフードの定番チキン・ライス(ロースト)のセットを事務所の近くの店“シンプリー・チキン&ライス”で食べた。チキン・ライスといっても日本のケチャップ・ライスとは別物だ。蒸して(茹でて?)且つ表面をローストしたチキンがローカルのキュウリや香りの強いニラ状の野菜とともに醤油タレで皿に盛られ、鶏の煮汁で炊いたご飯と一緒にニンニクの効いたチリや甘いタレをつけて食べる。これに根菜やカンコンのスープとパリッとしたモヤシ又は湯がいたレタスが添えられセット・メニューとなっているのだ。マレーシアやシンガポールから日本に帰国した駐在員に「今、何が食べたい?」と聞くと「チキン・ライス!」と答える率が高いと何かで読んだことがある。長年マレーシアに居る駐在員が「牛丼や立ち食いソバが恋しい」という気持ちと同じようなものだろうか。このレストランは場所的にちょっと値段が高いがセット価格で300円くらいなので現地人はともかく日本人にとっては激安と言っても良いだろう・・・・・・。 この日の夜はK君の最終夜だったが“豪華なホテルで食事をさせる!”なんてことは一切考えないで古株ローカル社員二人を伴ってSS2(エス・エス・ツー)という一般的観光客が絶対足を踏み入れないローカル・タウンで“ロクロク”というペナン風スチームボート屋台へ行くことにした。ここはオフィスから車で15分くらいのところにある中国系タウンで中心地はサッカー場くらいの大駐車場を囲むようにして屋台街、レストラン、マーケット、銀行、楽器屋等々なんでも揃っている商業地区だ。昼間は小汚いイメージでひっそりしているが、夜になると屋台街を中心にギラギラとした活気に溢れる典型的な東南アジアの繁華街に変身するのだ。O君はK君が買って来てくれてオフィスにたまたま置いてあった高級バーボンを持参することにした。この地区の屋台街ではアルコールはビールくらいしか無く、稀に紹興酒の瓶を発見して喜んでオーダーしても「これは料理用だ!」と希望を一蹴されてしまうのがオチなのだ。ローカル社員のGaryとMakの車に分乗して目的の場所に着いた。そこは屋根の低い細長く巨大なオープンエアーの掘建て小屋にテーブルと椅子を並べ、その周囲に様々な食べ物屋台を配置した文字通りローカル食のワンダーランドだ。ここでは適当な屋台の近くのテーブルに陣取り色々な食べ物を別々の屋台に注文して運ばれてきた料理を現金と引き換えに受取り、食事が終われば勘定は済んでいるので散らかしっ放しのまま帰ってしまえば良いという何とも合理的なシステムなのだ。だから、お目当ての“ロクロク”屋台は曜日の関係か店を開けていなかったが、気にせずに他の屋台のものをオーダーすればよいのである。こういう場所でのオーダー係はローカル社員の中でリーダー格のGaryと役割が決まっていて、アッという間にポピア(生春巻のようなもの)、バイトン貝(チューチューと身を吸い取る)、エイのヒレ部分の焼いたもの、サテー(チキン、ビーフ、ヤギ,鹿)、チョンファン(小さなエビや肉を米の分厚い皮で巻いて茹でたもの)がガタガタと安定しないテーブルに並んだ。近くの飲み物屋台にビール、コーラと持込バーボン用の氷をオーダーして宴会のスタートだ。通常SS2辺りでハーパー12年など持ち込んで飲む輩は居ないので、我々のテーブル横を通り過ぎる人達は珍しそうに見ていた。飲み物屋台のオバサンはGaryが交渉したのか「もう、勝手にしな」といった態度で特に持ち込み料も取られずに済んだ。ひとしきり食べたところでGaryがK君にここの旨いプローンミーを食べさせたいと言うのでオーダーした。“これは旨い”と言いながらも満腹のK君が半分くれたプローンミーを食べてみて私も久々に感動する旨さに出合った気がした。 その後、オイスターの卵とじ、ハーブで野生動物の肉を煮込んだ野味スープ、キュウリやパパイヤなどを一口大に切り甘いソースでミックスしたロジャック、等々許容量以上にオーダーしてK君の送別ナイト酒池肉林の宴は遅くまで続いたのだった。


某月23日(木)
朝、K君を空港へ向かう電車(KLIAエクスプレス)の出発駅まで送り届けて出社した。昨夜の飲み食いが効いているので昼飯はさすがにあっさりと軽い フィッシュ・ボール・ミー(魚のすり身団子の入った汁麺)にして、夜は早々に自宅へ帰った。


某月24日(金)
ディパバリ(インド人の休日)で会社は休みだったが残務整理に出社。当然クローズかと思ってたご贔屓のインド料理屋(ファラズ・キッチン)がやっていたので昼飯はそこで食べることにした。ご飯に極小蝦とサイコロ大のポテトのカレーと野菜とサンバル付きゆで卵、飲み物はここでは黙っていても店員は分かっているテ・アイス(コンデンス・ミルクたっぷりの極甘アイス・ミルク・ティー)でしめて200円弱。休日に一人ここでゆっくりと食事しボケッと外の緑を眺めるのは嫌いではない。夜は仕事の合間にたまたまネットで見つけたモント・キアラ・ジャズ・フェスティバルという近場でやっているフリー・コンサートに自宅で日本シリーズをテレビ観戦していたO君を誘って行くことにした。事務所から程近いモント・キアラはここ数年で高層コンドミニアムが立ち並び、その住人目当ての高級レストランや様々な施設(日本式カラオケBOXまである)が集まって来た新興高級外国人居住区である。当然日本人も密集しているが中には日本人同士故の些細な行き違いもあるようで私なんかは絶対に住みたくない地域だ。やっとのことでタクシーを拾い臨時コンサート会場となる“プラザ・モント・キアラ”に到着したときは約束の時間をちょっと過ぎていた。雨が降りそうなので気になったが、とりあえず野外のタイ料理屋が管轄するテーブルについた。店の名前をみると“チャクリー・パレス”となっていたので店員に聞いてみると、やはり以前にKLCC(KLでは六本木ヒルズのような存在)の近くでライブをや演ったことのある“チャクリー・ホワイト・ハウス”の姉妹店だった。カイ・ホー・バイトゥーイ(チキンをパンダンの葉に包んで揚げたもの、葉の香りがほんのりしてそのままでも旨い)とケーン・ペッ・ヌア(タイ式レッド・カレー)をツマミにしてコンサートのスポンサーでもあるカールスバーグ・ビールを飲んで談笑していると、前の客席から知り合いの女性アマチュア・トランペッターがこちらに向かって手を振っていた。演奏が始まる前にポツリポツリと雨粒が落ちてきたので屋根のある店の前に避難して聴くことにしたが、司会者が出て来てサルサバンドの演奏が始まる頃には飲みだしたウイスキーが効いてきたのと、演奏の音も煩くなく良い響きだったのでO君と二人で話をしながら腰を据えて飲むことになってしまった。散々ジャック・ダニエルズを飲んだこの後もブキッ・ビンタンのパブ“リトル・ハバナ”に移動し飲んでしまったので、最後にジャラン・アローの屋台でワンタン・ミー(チャーシューとワンタン入りの細麺ラーメン)を食べた記憶が薄いのも当然だった。翌日、「パンダン・リーフ・チキンとカレーがマイルドで旨かった~!」と家族に口を滑らせたら「パパだけずるい!」といった雰囲気になり結局2夜続けて同じものを食いに行くハメになってしまったのは失敗だった。


某月27日(月)
この日から5日間は岐阜の同業者を呼んでの共同作業だ。こちらから依頼したのは技術者1名だが、その彼が初海外といったこともありマレーシア3回目のK社長も一緒にKL入りした(実はこのK社長、このホームページがキッカケでお付き合いするようになり、過去2回のマレーシア滞在の時も私がKLを案内したりもした。今回は技術者の付き添いという名目だが、実際は好きなKLにまた来たかっただけなのかも知れない・・・失礼)。朝、名刺交換の後「とりあえずお茶でも!」と外でテ・アイスを飲みながら打ち合わせと言う名の世間話をした。事務所に戻りO君と技術者Wさんが実作業に入ったのを見届けてから私とK社長はソフトウェア会社の集まるMSCステータス(第12話参照)指定地のTPM(Technology Park Malaysia)とKLCC(Kuala Lumpur City Center)のツインタワーを見学に出かけた。 昼になり何を食べようかと迷ったのでKLCC近くに勤務する親友に電話して聞いたみた。しかし、この日から始まったラマダン(断食)のため店を閉めていたのか結局教えてもらったレストランが発見出来なかった。別に私よりずっと若いK社長とは堅苦しい仲でもないのでその店は諦め、そこら辺の店でチャー・クィティャオを食べることにした。これは米を原料としたキシメンのような麺でエビ、ニラ、モヤシ、卵などを入れてチリをからめて焼いた一見焼きウドン風の料理だ。比較的場所による味の差が少ないのと、不思議と食べ飽きないので是非食べさせてあげたかった一品だ。若干チリが辛いかと思ったが“辛くて美味しい!”と言って食べてくれたので良かった。かえって一緒にオーダーしたシュガー・ケイン(サトウキビ)のジュースの方が甘過ぎたかも知れない。午後は事務所に戻り雑談したり今後の両社の協業方針等を真面目に話したりして過ごした。 夕刻になり今夜は彼らと最初の晩餐なので繁華街のブキッ・ビンタンに繰り出そうということになったので、タクシーのつかまえ易い事務所近くのイースティン・ホテルへ行った。ホテルのタクシー係に行き先を告げロビーで待つこと30分。何度タクシーが到着しても空のまま走り去ってしまう。「俺達が待っていること忘れたんじゃないか?ちょっと何か言ってこいよ!」とO君をタクシー係のところにクレームに行かす。「分かってるから、座って待ってて下さい」とのタクシー係りの返事を聞いてやっと分かった。もうすぐブカ・プアサ(ラマダン期間の日暮れ時の食事が解禁になる時間)の時間帯なのでタクシーが乗車拒否しているのである。「ラマダン」とか「断食」と聞くと知らない方は1ヶ月間何も食べないで過ごす苦行かと勘違いしている場合もあるので書いておくが、断食とは小さな子供や病気、妊娠中などで断食が無理な場合を除いて全てのムスリム(イスラム教徒)に義務付けられていて、日の出から日没までの間は飲食が禁止されるのである(他にも禁止事項はある)。しかし、日没後は食事はOKでブカ・プアサの時間になると一日の辛い断食から解放されドド~っと食事をし、日の出前も朝早く起きて食事をするのである。だから日没直前は早く自宅や食堂に行って料理をオーダーし「ハイ、本日の断食終了!食べて良いですよ~」の合図(モスクや公共放送)を待つためにマレー系の人達は仕事そっちのけになるのである。自宅で食べない人達がレストラン等に行く為か詳細は不明だが、この時間帯はブキッ・ビンタンなどの繁華街へ向かう道も大渋滞となりタクシー運転手も「絶対行かないよ!」とエラそうな態度で乗車拒否をするのである。小1時間待たされてキレかけているところに1台のタクシーが入って来たので、私はタクシー係に「アンタじゃ埒があかないので俺が交渉する!」と言い「KL方面には行かない」と言い張る中国系タクシー運転手に「どこなら行くんだ?バングサなら良いのか?」と問うとあっさり「OK」が出た。口から出任せで“バングサ”と言ったが以前にもK社長とは行ったことがあるのでタクシーに乗り込んでから目的地をモント・キアラの隣のスリ・ハタマス地区に変更してもらった。本来ならもっとマレーシア的な所に連れて行ってあげたかったが渋滞で2時間無駄にするよりは早くビールを飲んだ方が彼らも良いだろう。 スリ・ハタマスでは時間が早いせいかローカル・フードも食べさる“SOULed OUT”というパブくらいしか面白そうな所がなかった。とりあえず初外国旅行の技術者Wさんにはコテコテのローカル・フードより外国人向にアレンジされたここの料理の方が良いかとも思い“SOULed OUT”のオープン・エアー席に座った。透明な麺グラス・ヌードルの焼きソバ(チャー・クィティャオにそっくり)、ナシ・レマッ・チキン、サテー、カレー・ミー(カレーラーメンに近い)、フライド・チキン、フライド・ソトン(イカ)にビールとワインをオーダーした。味はまったくと言って良いほど期待していなかったのだが食べ初めてみて意外とマイルドで美味しいのは驚きであった。特にナシ・レマッなどは30円くらいで街中で売っているものとはまったく違う料理だったがそれなりの上品さで普段から“値段の高い店は美味しくない”と公言している私にとっては意外な発見であった。


某月28日(火)
K社長との2日目は“前回は観光スポットは色々行ったけど、街中は車でサッと見た程度”ということだったので、KLに新しく出来たモノレールに乗り深夜は危険地帯となるチョウ・キット地区まで行きそこからインド人街を抜けチャイナ・タウンに入るというローカル・タウン廻りツアーを徒歩で案内した。昼食はチャイナ・タウンてバクテーを食べようかと思ったが豚肉は苦手というので本場の場末チキン・ライスと点心(ピータン入りシュウマイ)を少々食べた。この後ホテルに一旦帰ったK社長から「帰国便、明日かと思ってたら今夜の午前でした。日付が明日なので勘違いしてた!」との電話があり、夜はどこか郊外へ連れ出そうかと思案していたのだが急遽彼の滞在しているホテルの近くでお別れパーティーをすることになってしまった。ホテルが夕方渋滞の酷くなるブキッ・ビンタンの中心にあるためちょっと早めに仕事を切り上げO君と、技術者Wさんを車に乗せ向かったが目的地直前で大渋滞に巻き込まれ普段なら30分以内のところを結局1時間半もかかってしまった。ホテルに車を停めて向かったのはちょうど1週間前と同じジャラン・アローのあの店。「またか!」と思われる方もいるだろうが連れて来られる身には新鮮で且つ色々なアジアン料理を楽しめる。しかも屋台の小汚さが比較的薄いので連れて行く側も安心なのである。おそらく出張者の多い企業の担当者は毎週のように同じ店~同じ飲み屋に“遠来の客”を連れてって行ってるのではないかと思うが、私などは客と一緒に食事を楽しめる程度の回数なのでまだまだ幸せだ。オーダーした料理は先週とほぼ同じだが、まだ食べたことがないと言っていたヨンタウフ(マレーシア風おでん、豆腐、オクラ、ナス、ゴーヤー、油条などの肉詰がメイン)とチリを効かせた麻婆豆腐を追加した。ヨンタウフに入っている真っ赤な唐辛子の肉詰を指して半分冗談で技術者Wさんに「これを食べないとマレーシアに溶け込めないんだよ!」と言ってみると、躊躇しながらも「思ったより辛くないですね」などと言いながら丸々食べてしまったのには恐れ入った。そんな日本人が珍しいのか店のオバサンも「チリ、グッド、アー?」などと言って喜んでいたが、この瞬間から彼の中で何かがハジけたのか“日本人”を背負っていた彼がゆっくりとその重荷を肩から下ろし出すのを私は見逃さなかった。


某月29日(水)
この日は小休止。昼は軽くミー・スープ(汁麺)で済ませ、夜はチリに開眼した技術者Wさんに「引き続き、何か辛いものを食わすべし!」とO君に委託して自宅へ帰ってしまった。夕食の日本食が染みる夜だった。


某月30日(木)
昼飯は技術者Wさんを連れて先週月曜と同じ〔PD〕のインドカレーに行った。彼はこの手は初めてなので品数を取り過ぎるかなと思って見てたがローカル並の値段の範囲で私やO君より安く上げられてしまった。4日目にして“ローカル・フード道”を会得したか、それともバテて来たか不明だったが特に顔色が悪いといったワケでもなかったので夜はバングサのタイスキの店コカ・レストランでスチーム・ボート(肉、野菜、練り物等々ぶち込んで専用チリソースで食べる鍋料理)を食べることにした。数々の練り物、牛肉、サーモン、貝、青菜、ヤングコーン等々を飽きるまで食べたあとグリーン・ヌードル(文字通り緑の麺)を入れて満腹にした。メニューの“ウイスキー”と“高級ウイスキー”の価格差が1リンギット(30円)なのは理解不能だったが、デザートのタピオカのココナツ・ミルク仕立てが興味を引いたので冷たいマンゴーとともにオーダーしてみた。タピオカと聞くと普通ツブツブの白く濁ったイクラのようなものを想像する人が多いと思うが、もともとは木の根っこで芋のような食感のものだ。パサ・マラム(ナイト・マーケット)などで売っている一見ポテト・チップスのようなお菓子も実はタピオカと聞き驚いたことがある。そのデザート、ココナツ・ミルクの甘さとタピオカのどこか懐かしい味がとても気に入ってしまった。デザートにしてはボリュームがあることと既に満腹だったので親切そうな店員に言ってテイク・アウェイ(持ち帰り:一部の高級ホテル等以外は基本的には食べ残しは持ち帰り可能、こちらではテイク・アウトとはあまり言わない。)させてもらうことにした。基本的に私は持ち帰り派で、即腐ってしまうもの以外は少量でも“タッパオ!”と言って持って帰って来たい節約型なのだ。


某月31日(金)
技術者Wさんの勤務はこの日が最終日。その後4日間はマレーシアに留まり観光をすると言うが、是非初めての海外旅行は独力で切り開いてほしいという気持ちと、過労気味なのでゆっくり寝たいという欲求がない混ぜになり、彼と行動を共にするのは今回は今日が最後ということになった。昼は彼2度目のチキンライスを堪能してもらい舌に特製チリの味を焼き付けてもらった。そして、夜は混沌のチャイナ・タウンで締めくくろうと思っていたのだが、夕方になって大雨が降って来てしまい渋滞を避け急遽アンパン地区の私の自宅の傍のスージーズ・コーナーというローカル屋台村に変更させてもらった。ここは普段から私の家族もよく来ているお馴染みの店で、出す料理はローカル・フード中心なのだが近くに大使館やインター・ナショナル・スクールがある関係で西欧人の客も多く店員もフレンドリーなので私は気に入っている所だ。 今年の夏ここでマレー系の若者と喧嘩になりそうになったことがあった。夏休みを利用してカナダからマレーシアに一時帰郷(?)していた長女に若者がエラそうな態度で椅子に座って突き出していてた煙草の火が触れて軽い火傷をしてしまったのだ。前を歩いていた私は気が付かなかったのだが一旦は“ソーリー”と軽く謝ったらしい。長女から事の成り行きを聞いてその若者を見ると“いや~ワリ~ワリ~”といった態度で同じ姿勢で煙草突き出しているではないか、その態度にカチンと来たので「その煙草は危ないだろ!」と注意すると、「だから謝ったじゃないか、それでいいだろ!」と彼。その態度にキレた私は頭が真っ白になってしまった。暫く言い争っていたが最後に「こんなことなら謝るんじゃなかった、この○□△野郎!」とマレー語で最も侮蔑の言葉を投げかけてきた。それまで様子を見守っていた店員達がその言葉を聞いて一斉に「お前そこまで言うなよ!」と止めに入った。実はその若者はリーダー格のようで仲間が5~6人居たのだが、他の子達は皆お人好しの目をしていて内心“悪いことしたな”と思っている風だったのと、私の横で格闘技をやっている17歳の息子が睨みをきかせていたので心強かった。一番良く知っているインド人の店員も私に「まあ、落ち着いて、あっちで座ってくれ!」と言うので引き下がった。インド人の彼は暫く私の横に居て「まったく困ったガキどもだよ」的なことを言っていた。同じマレー系の人達にとっては外国人の私など何があっても敵に映るのかと思っていたが、暫くしてサテーを焼いている顔なじみのマレー系オジサンが私のところへ来て、「俺はアンタの見方だからな!」と言われた時はちょっと感動してしまった・・・。ちょっと脱線したが、そんな気に入っている店でオーダーしたのは今日迄の期間に食べさせていなかったナン、ロティチャナイ(小麦粉、マーガリン、卵で焼いたクレープ風パン)、マギー・ミー・ゴレン(なんとインスタント麺でつくる焼きソバ、けっこうハマル)、タンドリー・チキン、オタオタ(魚のすり身と各種スパイスで練りバナナの葉で包んで焼いたもの)、と本物のナシ・レマッ(ココナツ・ミルクで炊いたご飯、エビを発酵させチリ等のスパイスで作ったサンバル、ゆで卵、小魚のフライのイカン・ビリス、キュウリ、それだけで食べるマレー系料理の基本形)、それにイカのフライ等々激安フードばかりだった。ここでも持ち込んだ高級バーボンが疲れた体に廻り始めた頃長雨が少し弱くなって来たので解散することにした。O君が小雨のなか止まって仮眠をしていたタクシーと交渉して技術者Wさんをホテルまで送る。彼は明日から一人でちゃんと楽しい旅が出来るだろうか、そんなことを考えながら自宅についたがベッドに入ったとたんに寝てしまった。ここに来て疲れもピークだったようである。



今、読み返すと・・・実際は休日返上で仕事をしていたのだが・・・この2週間ラマダンが始まったというのにムスリム達の苦しみをよそによく食べてよく飲んだものだ。それもKL在住者からみれば「なんで旅行者にワザワザそんなものを食べさせるの?」と言われてしまいそうなものばかり。 常日頃、お客さんに「KLに視察に来てくださいよ」と誘っているのだけど、これでもっと足が遠のいてしまうだろうか。 まあ、KLの楽しみ方は各自各様で良いのだけど、“ゴルフ三昧、高級ホテルで食事、高級ブランド品漁り”なんてのは、KLでなくたって出来ることだ。私は親しい人達には、せっかく旅で訪れた土地なのだからここでしか出来ないことを是非経験して帰ってほしいと思っている。“地元の人達と膝を突き合わせて同じものを食べる”これが出来ないような味気のない旅だったら私はそんな旅はしたくはない。


(№38. 酒とチリの日々 おわり)

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