№39.短篇音楽小説2『Get it while you can』


難物だが東京でやってしまわなければならない仕事がまだ残っていた。不景気と自分の“読み”の甘さから招いてしまった後ろ向きの仕事・・・。 その仕事も気になってはいたが、〔ケイ〕に借りを返すべく、初秋とは名ばかりのむし暑い夜また新宿に出て来た。 夏の終わりとともに、定宿を新宿に近い四谷から、クライアントに程近いドーム球場のホテルに変えた。 出先の名古屋から、新幹線で東京に着き、ホテルにチェック・インしたあと、タクシーを飛ばして来たが、約束の9時を13分も過ぎてしまった。 取柄といえば時間に正確なことぐらいの俺が、遅刻する程道が混んでいたのも事実だが、ホテルの窓から見える淡いブルーの観覧車の、中心を支えている筈の軸が見当たらないので、ついつい見入ってしまい遅くなった、と言っても奴は信じてくれないだろう。 ちょうど1月前に、東京で会う約束を俺がすっぽかしてしまい、それきり何のコンタクトもして来なかった奴を、今回は俺が誘ってこのカウンターだけのロック・バーに呼び出した。 この店はこれで2度目だが、前回も奴と来ている。暗い店内にブルーの微かな灯りで演出された、7~8人も座れば満席になってしまうほどのスペースで、俺と同年代のマスターがひとり60~70年代のロックを聴かせてくれる。 先に来ていた奴に、ひと月前の件と、今夜の遅刻の詫びを込めてタイの僧侶にするようにワイのポーズでおどけてみせた。 不機嫌さを装いきれずに奴が吹き出しながら椅子を勧めてくれた時点で、借りを返した軽い気分になったのでビールで再会の乾杯をすることにした。 バックには聴いたことのないベックのブート盤らしき音源が鳴っていた。


まったくもって自分勝手な話だが、借りを返した気になってしまった俺は、その後、ローウェル・ジョージのストラトに身を委ねながら、僅かなビールで饒舌になった奴の身の上話にただただ相槌をうっていた。 どうやら最近転職したばかりの職場で、先輩とひょんなきっかけで意気投合し、仕事は物凄く楽しい反面ふと軽い鬱に落ちるときがあるらしい。 症状は2ヶ月ちょっと前からだと言うところをみると、先月“聞いてほしい話がある”と言って来たのはその件だったのかも知れない。 その先輩が異性なのかも何歳なのかも言わないまま、〔ケイ〕はカウンターに埋め込まれた照明を見詰めながら話しを続ける。


『気の合う者同士が会って酒飲みながら、最近読んだ本のこと、音楽のこと、環境問題のこと、家族のこと、心配事なんかの話をすることと同じなんだよ。 相手が薄っぺらな人間だったら自然と僕も離れていくだろうし、その反対だったらもっと深く知りたいと思うものだよね。現にその先輩は尊敬できる人だし、先輩を通して自分が成長して行ければもっと良いことだとも思ってるんだ。 それがさ、とっても不思議なんだけど日曜日とか朝起きてみると、どう思い出そうとしても顔が出て来ないんだよ、先輩の顔。なんか心理学的に適当な言葉があると思うんだけど俺が知ってるわけ無いでしょ。 そんなときは決まって朝から何もやる気が起きないくらい鬱なんだよ。でも精一杯気を紛らわすために部屋中掃除したり、海外ミステリーなんか読んで過ごすんだ。 月曜に仕事が始まる直前まで顔がはっきりと思い出せなくてさ、“おはよう”て先輩が仕事場に入って来た瞬間に、「ああ、俺はこの人に会いたくて会社に出て来たのか・・・」って、自分の中でカバーがかかっていたものが、スルリと取れた感じで鬱が引いていくんだ。 でもまた週末になると、何かが脳みそに分泌されて、記憶を少しずつ消していくような錯覚に困惑するんだよ。 抗えないなにかがそうさせているのか、楽しかった平日のリバウンドなのか自分でもよく理解できないんだ』


話が複雑になった来たので、俺はビールを切り上げマスターにワイルド・ターキーをロックで頼んだ。 酔ってしまえばどんなややこしい話だって一昔前のBGMフュージョンと同じだ。 しかし、この酒、普段は免税店で買って自室で飲むくらいなので値段のことはあまり気にしないが、こういうところで飲むとかなり高価だ。 いくら味覚が鈍感な俺でも、12年ものばかり飲んでいて8年ものに手が伸びなくなってしまっているのは、外で飲む金を思うとちょっと考えものだ。 奴もバーボンを欲しがったが、俺は勝手にビールを注文しながら〔ケイ〕の話を促した。


『一般的に男ってさ、結婚するってことで妻とか子供とかに対して“良い夫、良いお父さん”の典型を演じるべきだと自分で箍(たが)をはめてしまう場合が多いでしょ。 “アレはしちゃイケナイ、コレも我慢だ”って。 そんな自虐的な態度は、ある意味“シカタガナイ”と言って諦めているようなもんだよね。 そんな箍がなくたって家族を愛し大切にしようとする気持ちは全然変わらないよね。 第一さ、「家族のためだけを考えて仕事一筋で生きて来た。」なんて言って、全てを捧げたのだから家族から、尊敬を受け感謝されて当たり前だと思っている父親を、子供や妻は本当に尊敬し感謝するのかしら?』


何か新しいものを見付けて、大切な何かを見失いつつあるのか、そうであったなら説教にならぬ程度の警告を発してやろうと思いつつも、口から出たのは意識的な正反対の言葉だった。 しかし、以前に小難しい本で読んだことのある“メタ認知”ってヤツは未だ生きている。 自分の言動が感情に流されている時にでも、もう一段高いところからその自分を冷静に眺められること。 そう、今まで自分ではめた箍から抜け出せなかった奴が、ちょっと危なっかしそうだが一歩踏み出そうとしている。 “俺の人生だぜ、風のように自由にやらせてくれ!”と唄うスピーカーのジョニー・ウィンターに刺激されたか、そんなヤツの背中をちょっと押してやろうと、心のどこかで思ってしまった自分に正直になったまでだ。


『実は俺もね、自分の生きたいように生きている“父さん”のほうが子供の為になると密かに思ってんだ。ただし、自分とは違った意見のあることは充分承知しているし、人を傷つけてまで好き勝手にしようとは思ってないよ。 「俺は、それほど賢くも無く、金儲けも下手だけど、自分のやりたいようにやってるから、お前も好きに生きれば良い!」と、17歳の息子にはいつもこう言ってるんだ。 ちょっとカッコ付け過ぎだけどな。要は限られた時を無駄にはしたくないんだよ。別に死期が近いってわけではないけど、逆にもう若いって年齢でも無いからね。 何事も思ったことをやらずに後悔したくはないだけなんだよ。 正直告白すると現実は動かないで後悔することの方が圧倒的に多いんだけどさ・・・』 と、言いつつも反対に俺は“動かないで良かったこと”を思い出していた。そろそろ俺のメタ認知能力も限界だ・・・。


振り出した手形が2回不渡りになると、銀行取引が停止され、事実上会社の倒産となるのを知ったのは、父親と商売を始めたばかりの若い頃だ。 バカな親族が、騙されて振り出した白地手形を、どこからか手に入れた中年似非紳士が、俺の父親にカネを用意するように迫ったことがあった。 そいつは渋谷の円山町にあるラブホテルの成金経営者だった。 そいつの事務所の壁には、若き現自民党幹事長の父親の大きな写真パネルが威圧的に飾ってあった。 ルートはどうあれ善意の第三者(この法律用語を作った人は冗談好きとしか思えないが)には抵抗できない。 若い俺が泣いて頼んでも海千山千には通じなかった。幼さと無知を呪った。 暫くして、どこからともなく山崎とか言うサルベージ屋が事務所に現れた。 「手形を取り戻してやる。」と言う。 若造の俺でも、経済小説などを読み、こういった輩たちは最初からグルなのは分かってはいるつもりではあった。 渋谷の寿司屋で成金野郎と山崎に親父と俺は会った。 客層と同じで品の無い店にしては“澤の井”や“真澄”といった置いてある酒はまともだった。 成金野郎は俺達親子を哀れむように「奢りだから何でも好きなものをツマミなさい。」と、まるで“恵んでやる”とでも言いたげに振舞った。 その時、俺は初めて“殺意”とまでは行かないが“絶対見返してやる”という疼きを覚えた。 今でもたまに男気の無いクライアントや、いい歳した指示待ち人間にに怒りを感じるときはあるが、その時のそれはレベルが違った。 湯飲みに注がれた熱い緑茶を、成金野郎の顔めがけてぶっ掛けてやりたい衝動に何度か駆られたが結局やらなかった。 いや、やれなかった。喧嘩しても割が合わないといったことより、そこまで俺は度胸が据わってなかっただけなのだ。 しかし、あの時感情を爆発させていたら、奴らだって闇の世界との繋がりはある筈、きっと痛い目をみただろう。 結局そこで学んだのは単純なことだった。 成金野郎や山崎のような連中と関わりを持たないこと、つまり、手形取引など止め会社として隙を作らないことが最も効果的な“見返し”なのだ、と。


結局、〔ケイ〕の話からは“先輩”が女性なのか年上なのかも判からなかったし問いもしなかった。 興味本位に詳しい話を聞いたところでどうなることでもないし、何をしてやれるわけでもない。 “立ち入らない”それが奴と俺との間の暗黙のルールなのだ。 話に興味を失ったわけではないが、俺は唐突に今日新幹線から見た富士山を頭に浮かべていた。 日本は東京以外あまり知らない俺には、車窓から見える久々の富士は威圧的だった。 それよりも俺を卑屈にさせたのは、現われては消えてる大企業の工場群だ。 「俺はなんてちっぽけな仕事や些細な事に、毎日右往左往しているんだろう・・・」 “今夜会えるか?”と奴にメールしたのもそんな時だった。心のどこかで奴に縋りたい部分があったのか、それとも、卑怯だが、俺より生活の安定しない奴と一緒に居ることで、自分に安心感を抱きたかったのかも知れない。


話したかったことを全部吐き出して気分が晴れたのか、酔っ払ってしまったのか、「もう帰る」と言う奴と店を出て車を拾い一緒に水道橋近辺まで来た。 「このままタクシーに乗って帰れよ。金は俺が出してやるから」 と言うと「遠いので電車で帰りますよ。切符も買っちゃってるし」と、そのまま水道橋駅の方に歩いていった。 よく考えたら、俺は奴が今何処に住んでいるかもよく知らなかった。 ホテルの部屋に戻ると、窓越しに例の観覧車が俺を迎え入れてくれた。 部屋のライトは点けず、FMラジオのスイッチを入れ、ヴォリュームを上げるとアベ・フトシの強烈なカッティングが空間を支配する。 気になっていたので暫く窓辺に立ち目を凝らしてみたが、やはり黒の闇の中にライトブルーに薄っすらと光るリングの中心には何もなかった。 “Get it while you can”いつの間にか曲はジャニスに変わっている。 「もう家に着いただろうか」さっき別れてきたばかりの奴のことがふと頭に浮かぶ。 「やりたいようにやれよ!」投げやりに呟きながら冷蔵庫からミネラル・ウォーターを出し煽った。


“やれるうちに手に入れろ!”ラジオからは、27歳の秋にオーバードースで何も手に入れないまま死んじまった歌姫がそう叫んでいた。


(№39.短篇音楽小説2『Get it while you can』 おわり)

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