№40.理想の働き方を求めて


厳しい経済状況ではあるが最近は大企業の人材募集が活発になりつつあるといわれている。約7年4ヶ月ぶりに短観も大企業非製造業でプラスに転じたそうだし、事実、我々のような小さな会社にも多少は良い話も来るようになってきた(単に以前が悪過ぎただけとも思うが)。 そんな背景もあり人材募集に関しては腰の重い我社(日・マ両社とも)も最近になり色々と動き始めている。 一方テレビでは町工場の経営者などが「我々零細企業は大企業のコスト削減要求に乾いた雑巾を絞られている。景気回復など一部の大きなな会社だけでしょ(怒)!」と儚い夢をぶち壊してくれてもいる。どちらも事実なのだろうが後者は切実だ。大企業からの受注は増えるが単価は以前より低く抑えられているため利益は出しづらい。益々働いてもらわないといけない従業員へは還元どころか賃金カットの提案をせざるを得ないのが現状だという。大企業だって不況業種に属する会社などは組織のスリム化に伴いポスト不足が顕著になり、若手の昇進機会を奪っている、といった話を友人達から聞くことがある。特に日本本社に戻ってもポストの約束されない海外駐在員の立場は微妙なようだ。 多少は景気上向きとの見方もあるが実態はこういったお先真っ暗な会社が多い中『やる気のある若い方大募集、一緒に未来に向かって羽ばたこう!』などと採用広告を出されても“若い”と“馬鹿”は同義語じゃない、額面通り受けとる人はいないだろう。賃金の安いうちは歓迎されるけど、ある程度の年齢になれば厄介者扱いでリストラに怯えながら働くことになる。こんな危惧がフリーターという名のデラシネ・アルバイト族を増殖させている原因の根底にあるのではと最近になってやっと気がついた。困ったことにこのアルバイト族の流動性と企業の利害が一致してしまったことが大きな社会問題になりつつあるのだ。 定職を持たぬまま30歳半ばを過ぎ、低所得故に年金の掛金も払えず、まして所帯を持ち子供を育てるなんてことの負担増は論外といった例も少なくないようだ。 企業側にとっては社会保険等の負担の多い正社員を多く抱えるより、必要な時に必要なだけ確保できる“オンデマンド労働者”は実に都合が良い。たとえそれが若い人の未来の選択肢を狭めることになっていたとしても、だ。 先に“人材募集に関しては腰が重い”と書いたが、私は人を雇うということに関しては超慎重派だ。第1の理由は大企業論理と同じで俗っぽくて恐縮だが、やはり“カネがかかる”からだ。人材こそが命のソフトウェア開発業界では、人並みに仕事が出来るまでには個人差はあるが少なくとも1~2年はかかる。その期間の人件費も大変だが、正社員である限り会社が負担し続けないといけない費用は給料と比例して大きくなるばかりなのだ。そして、第2の理由は“その人の人生に対して責任が発生する”ということだ。通常、人は大金持ちでもない限り仕事というものは人生の中でかなりのパートを占める。大人になれば仕事を通じて人間を観察し、組織を知り、社会を理解し、自らの成長を促して人生を充実させていくべきものだと思う人は多い。その仕事をする“場”としての会社の良し悪しによって従業員ひとり一人の人生が変わってくるといっても過言ではないだろう。皆にとって“理想の働き方”とはどんなものか、それを既成概念に囚われずに提案し続けることが会社の代表として私の大切な責務のひとつだと考えている。ちょっと生意気で大袈裟な言い方だが“一緒に仕事しているウチの仲間達には充実した人生を送ってもらいたい。”といったことなのだ。一度きりの人生どんな働き方をすれば充実して過ごせるのだろうか・・・(CSLの親会社のCSSの話をちょっとしてみよう)。前置きが長くなったが、これが今回のテーマだ。


私は“もはや戦後ではない”といわれたちょっと後の高度成長期に東京多摩地区で生まれ育った。父の働く巨大企業の社宅からは正面に広大な工場が見えた。その敷地内には野球のグランドやゴルフのショートコースもあり、隣接した社宅の横には質素だが25mプールもついていた。外に出てちょっと歩くと“課長社宅”なる管理職の暮らす2階建てもあった。遊び仲間は当然社宅の子供達だったし、我家に集まるのは親戚よりも父の課の若い部下達(そろそろ定年世代かしら)が多かった。近くの女子従業員の寮ではオリンピックでも活躍したバレーボールの選手達の練習する体育館があり、今はテレビの解説で有名になった長身のおねえさん(当時)などもよく観にいったものだ。この企業は独自の病院もあり、霊園を管理する会社もあるという。まさに“揺り籠から墓場まで”を実践する福利厚生を完備し、そこに働く従業員にとってはひとつの運命共同体のようでもあり、今思えば失礼な言い方だが一種の“ムラ”でもあった。周辺の商店や飲食店もその企業関連の客が中心で潤っていたように思う。こういった大企業城下町で小学2年生まで育った私にとっては、“仕事”イコール“大きな会社に勤めること”であり、近所の商店主や病院の医者などは「どうして、お医者さんはカバン持って会社行かないの?」と子供心に尋ねてしまったことがあるくらい極めて不思議な存在であった。当時は高度成長期ということもあり大量採用が当たり前で管理職のポストはどんどん増えていくばかりだったであろう。一部労働争議はあったにせよ年功序列、終身雇用、企業内組合、全てが良い方向に回転し、そこで働いている父達は確実に年収を増やしていき、会社の斡旋した西多摩のベッドタウンに土地を買い念願のマイホームも立てた。系列会社に転属はあったにせよ、そのまま順調に定年までその会社に留まれば“幸せな世代のサラリーマン”として今となっては羨ましがられることになっていただろう。


しかし、父は今の私くらいの年齢で独立した。このまま管理職として大企業で埋もれているよりも実務者(当時出始めていたオフコンのシステム設計をやりたがっていた)としての自分の力を試してみたい、そんな気持ちも大きかったろう。が、実際は保証人をしていた親類の会社の放漫経営を尻拭いをする為に独立せざるを得ない状況でもあったのだ。ある日の夕方、学校からの帰り道だったか偶然仕事帰りの父にあったとき「会社辞めようと思う」と言われたことがあった。あまり深刻なことではないような雰囲気だったので「好きなことやるんだったら良いんじゃないの。」的な返事をした記憶がある。 深刻には受け止めていなかったとはいえ、その時の夕闇の景色は鮮明な記憶として残っているのが不思議といえば不思議だ。思えばその後からがけっこう大変であった。ゼロからのスタートであれば希望も持てるが、マイホームを売却しても尚マイナスの状態だった。毎月決まった日に給料を貰う生活を20年以上続けていた母はさぞかしその変化に戸惑ったことだろう。父は父で“仕事をする”ことと“商売をする”ことの違いを身に染みて感じていた筈だ。困って助けてほしい時ほど金融機関が冷たいのは当たり前だとして、苦境に立たされているからといって手を貸してくれるほど親類達にも余裕はない。救いと言えば昔の会社の仲間が無理に仕事をまわしてくれたり、事務所に様子を見に来てくれたことだろうか。父が心労と過労で入院するまでに耐えた時間が長かった分、逆に体と神経はボロボロになってしまっていた。


そんな父を見よう見まねで手伝いはじめて20年が経ってしまった。その間ずっと働き詰めといったわけではないが人並みに仕事に時間を割いてきたつもりだ。しかし、その半分近くの期間は流されるままに世間の習慣と同じようにやってきたと思う。しかし、会社を任されるようになって暫くしたある時期からは、今までのやり方に対して疑問が噴出してきて抑えられなくなってくるのが自覚できるほどであった。 なんで毎朝堅苦しいスーツにネクタイをつけて出かける必要があるのか?どうして大勢の人と満員電車に揺られて消耗しないといけないのか?昼休みに混雑した狭い食堂で肩を寄せ合いながら食事をすることににどんな意味があるのか。午後4時に仕事が片付いてしまったのに定時まで仕事をしているフリをしていて売上げが増えるのか。残業や休出をすることで気持ちが落ち着くような従業員を評価していてよいのか。いったい誰が決めて、誰のためにそんな行動をとっているのか。そして何よりも、このまま大きな会社の真似事をしていて自分達は生き残っていけるのだろうか・・・、と。そんなことを考えても“シカタガナイ”と思考を止めてしまうには人生は勿体なさ過ぎる。 まるで囲いのある安全地帯からある日を境にジャングルへ放り出された動物のように野生への移行に苦しむ父をみていたためか、やはり自分達に合った働き方(稼ぎ方)でもっと打たれ強くなっていかないとダメだと思うようになっていったのだった。


現在、日本のCSSオフィスは一般常識的な視点でみるとかなりフリーだ。表向きの勤務時間はフレックスタイムだが、実体はほぼ完全裁量労働だ。早朝から来ている者、夜間のみ出社して来る者、顧客に張り付いて作業をしている者、作業ピーク時などは通勤時間や着替えの時間さえ惜しいと自宅で頑張る者などなど。もちろん勤務中の服装などはソフト開発者にとってはリラックスしたものが良いので、顧客に出向く者以外は規制なしの完全私服制だ。混雑した昼休みの時間帯に昼食をとる者も少ないし、15:00に打合せが終わって直帰する者も珍しくない。(もちろん自宅に着くなりノートPCを開くのだが) 要は自分にとって最高のパフォーマンスが出るかたちで働くのである。東京とクアラ・ルンプールの間でさえ無料のチャットでリアルタイムに打合せが出来るご時世である。モバイル機器とネットワークがここまで発達した今、我々のような業界は一箇所に集まって一定の時間で働くといった昔ながらのスタイルはあまり意味がなくなってしまっているといっても良いだろう。もちろん、フェイス・トゥ・フェイスのミーティングや、ひざを突き合わせての飲み会などの重要性を充分承知したうえでのことなので誤解しないでほしい。


『それは分かったが、そんなことで組織を管理出来るのか。また、個々の評価はどうするんだ。』といった疑問が当然出てくるだろう。 理想的にいえば管理の為の管理などしなくても良い組織であってほしいのだが、その点は残念ながら私を筆頭に皆“欲”も“怠け心”もある人間なので、何らかの箍(タガ)が必要なことは確かである。そういう意味では半年に1度集計される『個人別売上表』はかなり厳しい。自分の関わった仕事の売上が個人別に1円単位で社内公開され、その数字がかなりの確率で賞与や昇給へ反映されていくのである。サボろうと思えばいくらでもサボれる環境だが自覚の無い者がせっせと仕事しているフリをしても即数値となって現れてしまうのである。努力していても数字が悪い人は可哀想だが、逆にいえば数字が上がった分(努力した分)取り分も多くなるといったシンプルな能力主義ツールなのだ。ただし、金額には換算出来ない前向きな努力や将来の為の投資的ロスは勘案しないわけにはいかないので、必ずしも“評価は数字のみ”といったわけではない。ついでだが、この仕組みは、売上高が大きいときは各自の収入があがり利益を有効に還元出来るとともに、儲かってないときは会社としての人件費を抑制できるといった一種の調整弁の働きも担っているのである。ある人に言わせれば「従業員は各自の仕事に専念させておいて、会社の数字など知らせぬほうが良い、責任は経営者がとればいいんだ。」といった意見もある。確かに社員を会社のパーツとして位置付るのであればそれで良いだろう。そして、最終責任は経営者がとるということも納得だ。しかし、私は社員全員が経営者意識を持って行動出来るような会社にした方が、そうでない会社より格段に強いと思っている。では、経営者意識とは何か、それはズバリ“責任を持って決め実行する”ことだ。


仕事は“やらされる”より自分の意思でやるほうが面白いし効率も良い。自分のやり方を決めて責任をもつことで認められるのはたまらなく愉快だ。認められて報酬も増えれば尚嬉しい。そして自分には活動の場があるという安心感はなにものにも替え難い。自分達はまだまだ理想の働き方をしているとは到底思えないが、少なくともその模索をすることの自由はある。仕事だけではない、海外に留学する為に休職するも良し。夜学に通って自分の人生に足りないと思うものを補うのも良し。私は本人が“責任を持って決めた”のであれば極力反対しないつもりにしている。「会社の仕事が忙しかったので私の人生何も出来ませんでした。」なんて言われるのはちょっと怖いし不本意だ。ただし“その人の人生に対して責任が発生する”と言ったのは何でもハイハイと追認することばかりではない。相手の判断が間違っていると思った場合や、独断で暴走していると判断したときには言いたくないことも言わないと無責任になってしまう。が、基本としては“責任を持って決め実行する”ことの出来る人をいかに多くするかが会社の将来、ひいては各自の人生をも充実したものに出来ると信じているのである。少しでも納得出来る働き方、生き方をしたいものだ。


最後はまったくの余談だが・・・以前に一流経済誌の“社長の椅子”だったか上場企業の経営者を紹介するコーナーがあってよく読んでいた。華々しい経歴と実績の後に、引退後の夢を語る部分があったと思う。明確には記憶していないが、何とも印象深かったのは『一生の思い出として妻とマレー鉄道でタイ~マレーシア~シンガポール列車の旅をしてみたい。』と『小さな事務所を構えて落ち着いて好きな仕事に没頭したい。』のふたつだった。読後苦笑混じりに私が思わず呟いてしまったのは『なんで今しないんだろ?』だった。華々しい経歴も実績も無くオマケに大した金も無いけど、そんなことだったら明日にでも実行可能だ。(笑)


(№40.理想の働き方を求めて おわり)

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