№73. 雑感、プチ“断捨離”生活


もう半年以上も前の話だが、数年ぶりに引っ越しをした。 マレーシアに来てからは3度目の引っ越しになるが、2度目は同じコンドミニアム(以下、コンド)内だったので、 気分的には、このコラムの第14話に書いたとき以来である。 結婚して、子供が出来て、子供たちが大きくなるにつれて、少しでも広い家、部屋数の多いところを求めて引っ越しをしてきた。 しかし、3人の子供達も巣立って行ってしまった今、5人用に賃借していたコンドは、夫婦二人に戻ってしまった身には、あまりにも広過ぎる。 そんなワケで、今回は、はじめての“ダウンサイジング型”の引っ越しなのである。 まあ、こう書くと、ちょっと寂し気な響きもあるが、“終の棲家を・・・”なんてのには、まだチト早いし、“ダウンサイジング”と言ったって、 マレーシアのコンドは、プールやジムはもちろん、24時間警備員がガードする、日本の所謂“ウサギ小屋”(失礼!)とは、比較にならない環境なのである。 今度、引っ越したSolaris@Dutamasというところは、敷地内のレストランやコーヒーショップは云うに及ばず、もう少し待てば、 数多くのオフィスや、大きなショッピングモールだって完成するのだ。 そして、生活に便利なだけではなく、演劇シアターや画廊、そしてコンサートの出来る屋外ステージまであり、 連休に、このエリアを一歩も出ないまま過ごしても、退屈することはないぐらいだ。 それまで住んでいたローカルタウンのAmpang地区も気軽で大好きであったが、やはり、この、日本人が多く住むこの地域は、アタリマエだが、何かと便利だ。 もう、来馬当初のように「好きでマレーシアに来たのだから、なるべく日本人の少ない地域で生活を!」などと、肩肘張るつもりもないし、 子供も居ないので学校の近くに居る必要性もない。 なので、この際、“便利さ”と、夫婦二人きりの“シンプルさ”を追求してしまおうと思い、色々なものを“ 断捨離 ”して、この日本の住宅事情と比較するとかなり贅沢な場所に引っ越して来て、年甲斐もなくワクワクして暮らしているのである。


引っ越しの利点は、気分転換もあるが、やはり、私にとって一番は、身の周りの不要なモノの整理だ。 普段から、残るモノをあまり買わない性質の私なので、驚くほど持ち物が少ないのだが、それでも本やCDを中心に色々と自然と増えてくるものだ。 古いプリンタやスキャナー。 絶対履かない靴や、ジョギング用にでもなるかと保存しておいたボロTシャツ。 何故か棄てられないで置いてある和菓子の箱や、その中に入った昔の写真のネガ等々。 正直、今すぐ全部棄ててしまっても、今現在も将来的にも、まったく困らないものばかりだ。 極論すれば、私の場合は、おカネ、パスポートなどの身分証明、Laptop PCとギター。 そして、最低限の服と洗面具、あとは音楽CD、欲を言えば、未読の本が数冊あれば、それで満足出来ちゃうのだ (将来的には、CDも本も全部PCにブチ込んでしまえば不要になる)。 今回も、勿論、売れるものは売り、売れないものは“寄付”してきた。 以前、ミュージシャンの息子が、私のことを曲にしてくれたが、タイトルが「シンプル・マン」だった。 やはり、周りから見ても、それなりに“断捨離”型の人間と映っているのであろうし、事実、自分でもそうだと思っている。 自分の部屋には極力モノを置きたくないし、会社では、請求書などは溜めずに即日支払いが基本。 そして、不動産や貴金属には100%興味無いし、誰か偉い人達が戯れに創った地位や役職なんてのもイマイチ敬う気持ちになれない。 それどころか、豪華さを誇るだけの結婚披露宴や、高価な宝石をジャラジャラさせている“装飾系”成金オバサン。 そして、カンタンなことを、わざと難しく言い換えて悦に入っているITコンサルタントなどは、憫れみさえ覚えてしまうのだ(それって逆効果じゃん?と)。


以前にも書いたかもしれないが、今回の引っ越しを機に、NHKやCNNの映る、現地の衛星放送(ASTRO)の契約をしないことにした。 備え付けの大きな薄型テレビはあるが、事実上のテレビ無し生活である。 テレビも、朝の出勤前にニュースを観る程度なら良いのだが、問題は帰宅後だ。 なんとなくスイッチをオンにして、観はじめることは楽チンなので、ダラダラと無為に過ごす時が少なくない。 それでいて、けっこう、目や頭が疲れるので、「ああ、また時間を無駄にしてしまった・・・」と、後悔することが多く、精神的にも、ちょっとストレスとなっていたのだ。 引っ越し前、NHKだけはよく観ていたこともあり、引っ越し後の2~3週間は軽い禁断症状気味であったが、慣れとは恐ろしいもので、今では何の不便も感じなくなってしまった。 空いた時間を、好きなこと&やりたいこと(飲みながら、読書か、ギターの練習なのだが・・・)に集中させ、クタクタになった後にシャワーを浴びて寝る。 このサイクルが、今のところお気に入りなのである。


固定電話も契約しないことにした。 携帯電話が普及した今となっては、携帯電話の非常用バックアップでしかない固定電話の必要性が見出せなかったからだ。 現に、固定電話無し生活でも、半年間まったく問題なかったので、またひとつ無駄な出費が省けたわけだ。 省けて嬉しいのは出費より、むしろ電話に関するトラブル対応の時間である。 混線、不通、過請求・・・、話を聞くと、在馬の駐在員家庭の中でも、かなりの確率で、こういった小さいトラブルが頻発しているようだ。 まだまだマレーシアでは、こういった小さなトラブルは珍しくないのだが、問題はトラブル自体より、対応の遅さ(怠慢)と態度だ。 たらい回しにされ、ホカされ、突っつくと担当が辞めたからと、ゼロからのリスタート・・・。 家庭のことだからと、毎度、妻が対応するハメになるのだが、解決するまでのイライラと、愚痴を聞く時間の無駄を考えると、固定電話は“捨て”である。


以前より、自宅がオフィスに近い関係で、通勤に使うガソリン代が半減した。 経営にインパクトがあるワケではないが、ガソリン代は会社経費にさせてもらっているので、ここでも無駄が削減できたことになる。 通勤時間も半分以下となったので、車中で音楽を聴く楽しみは削られるが、時間的にも節約になっている。 「今回は、引っ越しのメリットがあるな~」などと考えていた矢先に、ふと思いついた。 そう、「いっそのこと事務所もこのSolaris@Dutamasに移してしまえば、通勤時間も5分だし、車すら不要ではないか」と。 通勤距離が若干遠くなる者も居るので、後日スタッフに相談すると、「今の事務所も長く居るて飽きてたからGood Timing !!」ということであった。 オフィスやショッピングモールが過剰に建設されている今のKLでは、新しい事務所でも強気の家賃には設定できないので、借り手が有利でもある。 こういうときの身軽さだけは、弱小ソフトウェア会社の利点だ。 移設が必要な大きな設備も無いし、原材料や危険な燃料などを運ぶ必要もない。 極端な言い方をすれば、新しい事務所にブロードバンドを引き込み、机と椅子、そして書籍とドキュメントファイルを運送屋さんに依頼し、 LapTop PCは自分で持ち込めば、引っ越し完了なのである。 まして、つい最近、日本からの最重要顧客来馬直前に、大量に不要物(デスクトップPCや書類)を廃棄したばかりだ。 そんな気軽さもあり、2011年9月26日現在、物件も決定され、11月初旬の引っ越しに備えて、現事務所内の更なる“断捨離”運動が進行中である。


話は年寄くさくなるが、老子の言葉に“足るを知る”というものがある。 よく夫婦で、今暮らしているところは、自分達には最高の贅沢で、これ以上を望むとバチがあたるよなと、話合っている。 そして、出来れば、もっと生活を、環境的にも無駄のない、シンプルなものにしたいとも、漠然とだが思っている。 こんな自分を、典型的な日本人とは言わないが、私の周りにもいる“老子の故郷”の人達は、自分とは随分感覚が違うように感じる。 ご本家(メインランド・チャイナ)の人達の関心は、銭、地位、名誉、財産・・・と明確、且つ極端なようだが、マレーシアの華人達も、 ご本家のメンタリティを蔑みつつも、実はベースとなる思想は、老子も真っ青の“豪華披露宴、宝石ジャラジャラ”系である。 地獄の沙汰もカネ次第なのか、彼らは、ご先祖様が困窮しないようにと、疑似紙幣を燃やして天国に“送金”したり、 亡くなった親族が“住”に困らぬようにと、紙で作ったマイホームを燃やして供養したりすることもあるらしい。 そして、生活上の優先順位といえば、他人や組織のことより、まずは自分、次に家族、あとは親戚、同郷の人達・・・。 会社や国家などの組織は、どちらかと言えば、ヤドカリの貝殻のような存在なのかもしれない。 これは、長い争いの歴史と、厳しい自然環境から形成されたのであろうから、“良い”とか“悪い”とかで論ずるものではないが 「日本人と顔つきも似ているし、仏教の文化圏であり、漢字をコミュニケーションの手段としていて、 地理的にも比較的近いんだから、きっと同じ考え方をしているだろう」などとナイーブなことを言っていると、いつか、その違いにショックを受けるだろう。 まあ、「その家賃払うんだったら、賃貸でなく、買っちゃったほうが絶対得だよ!」などといったアリガタイご助言は、日本人もほぼ同じなので良い。 が、酷いのになると、「違法で働かせていた外国人が、仕事で大怪我しちゃって働けなくなったけど、帰国させるのもカネがかかるので、宿舎に放置してある」 とか、「日給500円弱(日給!!)の労働者の技術が向上したので、3円だけ昇給しようとしたら、華人の女性マネージャからストップがかかった」など、 経営者が、高級車を乗り回しているような、上場企業ですら、こんな非道でケチくさい話を聞くのには驚く。 “足るを知る”を自覚し、普段、「社員は皆家族同然」とか、「働いた分のOT(残業)はいくらつけても良い!」などと、 儒教的な性善説を唱えている私は、現代の華人達より、よっぽど老荘思想を受け継いでいるかもしれない。


人間は、動物と違い、様々なモノに囲まれて生活している。 そして、外国で暮らしたことのある人には分かると思うが、 日本にはモノが溢れているばかりでなく、それが美しく、且つ、異常なまでに高い品質を保っている。 ただ、本当に必要なモノは、それほど多くもなく、求められる品質というのも、あまり高い必要はない。 不謹慎に聞こえたら申し訳ないが、地震や津波で、家財道具を根こそぎ失った人達が、「これだけは絶対取り戻したい」と願うモノは、 将来のおカネの補償が約束されているとすると、“家族の思い出”だけなのではないかと思う。 ある本では、最低限の衣食住に必要なモノ以外は全て“暇潰し”目的であり、それらを製造している企業は、あのSONYでさえも“暇潰し産業”だ、と極論していた。 日本は、戦後の高度成長時期(私が生まれた頃)から現在にかけて、あまりにもガツガツと、多くのモノを所有し過ぎた感がある。 おませな小学生だった私は、70年代(大阪万博の頃)から、「日本にはモノが溢れ過ぎている」と、“太陽の塔”を見上げながら感じていたのだ。 物質文明を謳歌し過ぎて、限界まで行ってしまったところにガツンと来た震災。 しかし、略奪や暴動が起こらず、短絡的に“モノ”に走らず、秩序を優先させた日本人は世界中を驚かせた。 大人しく、且つ、横並びのメンタリティはあるとしても、母国の外から見ていて、これほど、日本人が誇らしいと思ったことはなかった。 これが、もし外国(どことは言わないが)で発生していたら、大変なことになっていただろう。 投入された軍隊が、救助活動をする前に、治安維持に忙殺されるような国は、GDPの大きさとは無関係に、世界中いたるところに存在する。 逆に云うと、日本は略奪や暴動をすると“割に合わない”ほどに安定していて豊かな国だと言って良いと思う。


面白いことに、技術と時代がマッチしたのか、私の居るコンピュータ業界でも 「所有から利用へ」などと、“持たざる者”の強みにフォーカスを当てはじめた。 そして、今回の大震災で、問い合わせが激増中らしい。 「自社でサーバなど運用しているのは、様々なリスクは有るし、万一のことを勘案すると、トータルコストも高い」といった大人の判断だろう。 一方、これからの日本を背負う若い人達も、自動車メーカーなどが嘆くほどに、所有欲が薄くなっているらしい。 「酒も飲まず、車も要らず、彼女をつくるのも面倒だし、仕事はホドホド、人間関係に縛られたくない・・・」といった感性の、所謂“草食系”君たちだ。 ITによる世界のバーチャル化も影響しているだろうが、生まれた時から、モノの溢れた、この世のパラダイスに暮らしているので、 ギラギラとした欲望が萎えてしまっているのは充分理解できる。 私なども、年に数回東京へ出張するが、コンビニですら、毎回新しいモノが溢れていて驚くし、 秋葉原の電気街や、御茶ノ水の本屋街などは、その品数の多さにクラクラ眩暈がしてしまい、速攻ギブアップだ。 iPhone出現などは、ごく最近の出来事で、“凄い”と思っていたら、立て続けに新バージョンが発売され、もう「iPhone 5」だ。 年配者はもちろんのこと、いくら変化に敏感な若者であったとしても、そろそろ、“もういいや”となってきているのも頷けるのである。


高齢化や人口減少、そして、モノで自分を飾るより、自分の内面をより豊かにすることに対して、おカネを使うようになってきた日本人。 今後は、地位や財産などより、シガラミレスな身軽さを好む人も増えてくるであろう。 そんな中、産業界が、相対的にモノに飽きつつある日本から、所有欲旺盛なアジアのボリュームゾーン市場へ向かうのは必然である。 他の東南アジアの都市はどうか分からないが、KLに関しては、巨大市場への“橋渡し地”としての役割を模索している企業戦士が増えたように思う。 中には、「これからはアジアだ!」と、ばかりに、無計画に出てきた人達も知っているが、私の接するIT関連企業の人達は、 「何か出来る筈だが、何を、どうすれば良いのか?」を、模索中の誠実な人達が多い。 私自身はどうであろう。 このコラムを読んでくれている皆さんにとって、私は、KLで面白おかしく暮らしているように思う人も居ると思うが、 実を言えば、“模索する企業戦士”達に、自らが“断捨離”されぬよう、必死にしがみついている状態なのである。 このご時世、日本を脱出したからって、外国で“面白おかしく”暮らせるほど、世の中、そんなに甘くはないのである。


「悠々自適の“断捨離”生活!」なんて内容を期待して読まれた方には、「ゴメンナサイ」です。


(№73. 雑感、プチ“断捨離”生活 おわり)


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